人は誰もが、違う人生を歩み、違う未来を思い描いています。だからといって、同じ未来を目指さなければ、一緒に何かをつくれないのでしょうか。家族旅行も、音楽の和音も、学校の花壇づくりも、そして日本の社会づくりも、違う願いや個性が結ばれることで、新しい豊かさを生み出してきました。結びとは、違いをなくすことではありません。違いを持ったまま、ともに何を生み出せるかを考えること。そこに、これからの社会を豊かにするヒントがあります。

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同じ未来を見る必要はない。違う未来を思い描く人たちが、それでも一緒につくれるものを探す。そこに結びがある。
1 みんなが同じ方向を向かなければならない?
学校でも、会社でも、家庭でも、「みんなで同じ目標に向かって頑張ろう」という言葉をよく耳にします。
もちろん、共通の目標を持つことは大切です。
けれど、そこにひとつ、考えてみたいことがあります。
そもそも、人はみんな、同じ未来を望んでいるのでしょうか。
たとえば、家族で旅行に出かけるとします。
以前にもお話しましたが、
お父さんは、歴史ある神社やお城を訪ねたいのかもしれない。
お母さんは、おいしいものを食べて、のんびり過ごしたい。
子供たちは、遊園地で思いきり遊びたい。
それぞれが思い描く「楽しさ」は、同じ「旅行」でも、少しずつ違っています。
ここで、誰かひとりの希望を家族全員に押しつけたら、どうなるでしょう。
旅行には行けます。
けれど、誰かが我慢し、誰かが不満を抱えることになるかもしれません。
反対に、全員の希望を聞いて、行き先や順番を考え、みんなが楽しめる旅をつくろうとしたらどうでしょう。
神社にも行き、おいしいものをいただき、子供たちがおもいきり遊べる時間もつくる。
もちろん、時間や予算には限りがありますから、すべての希望が叶うわけではありません。
それでも、みんなの違いを持ち寄って、一緒に旅をつくることはできます。
ここで大切になることは、全員が同じ希望を持つことではありません。
違う希望を持った人たちが、一緒に楽しめる旅をつくろうとすること。
そこに「結び」があります。
2 違いをなくすことが、仲良くなることではない
人間関係で意見が食い違うと、私たちはつい、どちらが正しいのかを決めようとします。
Aさんは、早く結果を出したい。
Bさんは、時間をかけて丁寧に進めたい。
Aさんから見れば、Bさんは決断が遅い。
Bさんから見れば、Aさんは性急に見える。
こうなると、話し合いはいつの間にか、「どちらの考え方が正しいか」という争いになります。
そこで少し観測点を動かしてみます。
Aさんが大切にしているのは、機会を逃さないこと。
Bさんが大切にしているのは、失敗を防ぐこと。
だとしたら、この二人は本当に対立しているのでしょうか。
むしろ、二人の考え方が結ばれることで、機会を逃さず、しかも失敗を減らせる方法が見つかるかもしれません。
もちろん、いつでも簡単に答えが出るというものでもありません。
それでも、「どちらが正しいか」だけを問い続けるより、
「両者の違いを活かしたら、何ができるだろう」と考える方が、新しい可能性が開けます。
違いは、なくすべき障害とは限りません。
違いがあるからこそ、一人では思いつかなかったものが生まれることもあるのです。
3 結びは、同じになることではない
以前、音楽の和音について考えたことがあります。
ドの音があります。
ミの音があります。
ソの音があります。
この三つを同時に鳴らすと、音楽でいう「Cコード(ドミソの和音)」になります。
ところがおもしろいことに、ここに「ラ」の音を加えると、今度は「C6」という、少し違った豊かな響きの和音になります。
さらに、同じ音でも、鳴らす順番やリズムを変えれば、さまざまな旋律が生まれます。
たとえば米津玄師さんの『パプリカ』にも、ド・レ・ミ・ソ・ラという五つの音を基本とする「ヨナ抜き音階」が使われています。
つまり、音は、違う音を加えたからといって、必ずしも不協和音になるわけではないのです。
大切なことは、それぞれの音を、どのように響かせるか。
違いをなくすのではなく、違いをどう結ぶかによって、音楽そのものが変わっていくのです。
これが「結び」です。
人と人との関係も、これに似ているように思います。
同じ考え、同じ価値観、同じ生き方をする人だけが集まることを、結びと呼ぶのではありません。
それぞれが異なる人生を生き、異なる経験を重ね、異なる未来を思い描いているからこそ、そこに新しい可能性が生まれます。
人も同じです。
違いがあるだけでは、結びにはなりません。
違いを持った人たちが、互いの存在を認め、その「あいだ」に何を生み出せるかを考え始めたとき、結びが動き出すのです。
4 未来をひとつに決めない社会
このことは、家庭や職場だけでなく、社会全体についても考えることができます。
世の中には、いろいろな立場の人がいます。
経済を発展させたい人。
自然環境を守りたい人。
伝統文化を大切にしたい人。
新しい技術を取り入れたい人。
バズらせて儲けたい人(笑)
それぞれが思い描く未来は、必ずしも同じではありません。
だから、「どちらが正しいか」「どちらが勝つか」という争いだけに目を向けると、社会は分断へと向かいやすくなります。
けれど、ここで少し問いを変えてみるのです。
経済を発展させながら、自然を守る方法はないだろうか。
伝統文化を大切にしながら、新しい技術を活かすことはできないだろうか。
もちろん、実際には両立できない選択もあります。
限られた予算をどこに使うか。
何を優先し、何を後回しにするか。
ときには、どちらかを選ばなければならないこともあります。
けれど、そのようなときでさえ、相手の存在を否定する必要はありません。
意見が一致しなくても、相手が大切にしているものを理解しようとすることはできます。
そして、今日の選択では一致できなくても、明日の別の課題では力を合わせられるかもしれません。
ここに、社会を壊さずに未来をつくっていくための、大切な知恵があるように思うのです。
社会は、全員がひとつの理想に縛られ、従う場所ではない、と思うのです。
異なる願いを持つ人々が、それでも同じ社会で暮らし続けていく場所こそ、理想の社会というべきです。
日本が、神話の昔からずっと築こうとしてきたものが、ここにあります。
だから日本は、八百万の神々の国なのです。
全ての神が皆同じではありません。
異なる神が、異なるまま一緒に住むことができる国。
それこそが、古くから扶桑とも呼ばれてきた日本の、ひとつの理想の姿勢といえるのではないでしょうか。
5 同じ未来ではなく、一緒につくれるもの
ここで、もうひとつ考えてみたいことがあります。
人と人とが一緒に何かをつくるとき、必ずしも、その先にある人生まで同じである必要はない、ということです。
たとえば、学校で花壇をつくるとします。
花が好きな子がいます。
虫が好きな子がいます。
土をいじるのが好きな子がいます。
絵を描くのが好きな子がいます。
将来、花屋さんになりたい子もいれば、昆虫学者になりたい子もいるかもしれません。
みんなの夢は違います。
それでも、一緒に花壇をつくることはできます。
花を植える子。
土を耕す子。
虫の様子を観察する子。
花壇の看板を描く子。
それぞれが、自分の好きなことや得意なことを持ち寄ります。
そうして完成した花壇は、誰かひとりの夢を実現したものではありません。
みんなの違いから生まれた、みんなの花壇です。
そして、花壇をつくり終えたあとも、子供たちは、それぞれ違う未来に向かって成長していきます。
それでいいのです。
むしろ、それがいい。
人は、同じ人生を歩むために出会うのではありません。
異なる人生を生きる人たちが出会い、その「あいだ」に、一人では生み出せなかった何かを残していく。
その何かが、次の誰かの笑顔につながることもあります。
そこに、人と人が結ばれる意味があるのではないでしょうか。
戦後の日本では、政治や思想、宗教をめぐる価値観の対立が、職場や地域社会にも持ち込まれることがありました。
そのため、職場では「政治と宗教の話はしない」という暗黙の了解が生まれることもありました。
これは必ずしも、互いに無関心になるということではありません。
思想信条や宗教観が違っていても、仕事では力を合わせる。
一緒に道路をつくり、建物を建て、暮らしを豊かにしていく。
そこには、違う未来を思い描く人たちが、それでも一緒につくれるものを探してきた、日本人の姿があります。
昭和30年代は、まだまだ舗装道路なんて少なかったし、ビルも限られた数しかありませんでした。
雨降りに子供が学校に行こうとすると、道路にできた水たまりは、長靴の高さを越えて、足を濡らしました。
トイレはボットン便所で、下を見れば大量の蛆虫が湧いていたりしました。
家の窓は、建て付けが悪くて隙間風が入り、冬になると畳の上に霜が降りるほど寒い家もありました。
そうした暮らしを変えてきたのは、思想や信条、政治的立場や宗教観が異なっていても、それぞれの持ち場で力を尽くしてきた先輩たちです。
6 結びは、未来をひとつにすることではない
私たちは、誰ひとりとして同じ人生を生きていません。
生まれた場所も違えば、育った環境も違います。
得意なことも、苦手なことも違います。
大切にしているものも、思い描く未来も違います。
だから、他人の考えをすべて自分と同じにしようとすれば、必ずどこかに無理が生じます。
同様に、違いがあるから一緒には何もできないと決めつけるなら、そこから新しいものが生まれることはありません。
必要なことは、そのどちらでもない、第三の道です。
自分の未来は、自分で選ぶ。
相手の未来も、相手が選ぶ。
そのうえで、
「それでも、一緒に何かできないだろうか」と問いかけてみる。
この小さな問いが、結びの入り口です。
そして、結びによって生まれたものが、また次の誰かと結ばれ、新しい未来へと受け継がれていく。
文化も、社会も、文明も、そうした小さな結びの積み重ねによって育っていく。
同じ未来を見る必要はありません。
同じ考えになる必要もありません。
違う未来を思い描く人たちが、一緒につくれるものを探していく。
その先に、まだ誰も見たことのない未来が生まれます。
結びは、違いを消すことではなく、違いを未来の可能性に変えていくこと。
今日、身近な誰かとの間に、考え方の違いを感じることがあったら、ちょっとだけ問いを変えてみませんか?
「どうしてわかってくれないの?」ではなく、
「この違いがあるからこそ、一緒に何ができるだろう?」と考えてみませんか?
その問いの向こうに、まだ見たことのない未来が待っているかもしれません。
——今日も良い一日を♪
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