千三百年前の人が見た富士山を、いまの私たちも見ることができる。
百人一首第四番、山部赤人の「田子の浦に」。美しい富士山を詠んだ有名な一首ですが、その原歌が収められた『万葉集』には、実は壮大な長歌が添えられています。そこに歌われていたのは、天地開闢以来の神々しい富士山。そして最後に置かれた「語り継ぎ、言ひ継ぎ行かむ」という言葉でした。千三百年前のその願いは、いまも私たちに届いています。和歌とは、単に昔の景色を描いたものではありません。時代を超えて人と人を結ぶ、三十一文字の贈り物なのです。

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千三百年前の富士山が、いまも見える。
山部赤人の歌に学ぶ、時代を超えて心を結ぶ和歌の力。
百人一首の四番歌は、山部赤人(やまべのあかひと)の有名な一首です。
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
国語の教科書などでもおなじみの歌ですから、暗誦できる方も多いのではないでしょうか。
(田子の浦に出てみると、富士山の高い峰に、真っ白な雪が降り続いている。)
おおむね、そのような意味の歌です。
この歌を読むと、私たちの心には、青い海の向こうにそびえる富士山と、その頂を覆う白い雪が浮かんできます。
まるで、一枚の美しい風景画を見ているようなのですが、ところが、この歌には、よく考えてみると不思議なところがあります。
それが、「雪は降りつつ」という部分です。
現在進行形で雪が降っているのなら、普通は雪雲がかかって、富士山の頂は見えにくくなるはずです。
山頂付近に雪が降っているなら、山頂は雲に隠れてしまうでしょうし、田子の浦にも雪が降っているなら、富士山はいっそう見えにくくなります。
もちろん、雲の切れ間から山頂が見えることもあるでしょう。
けれど、ここで少し考えてみたいのです。
山部赤人は、本当に、目の前に見えた富士山の景色だけを歌にしたのか、ということです。
実は、この歌のもとになった『万葉集』を読むと、まったく違う景色が見えてくるのです。
1 もともとは長い歌だった
百人一首のこの歌の原歌はは、『万葉集』巻三・318番に収められています。
原文は、次のようになっています。
田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尒 雪波零家留
読み下すと、
田子の浦ゆ(従) うち出でて見れば 真白にぞ(衣)
富士の高嶺に 雪は零(ふ)りける
百人一首とは、言葉遣いが少し違います。
「零」という漢字は、雨冠に「令」を組み合わせた形声文字で、もともと雨や露などが落ちることを表す字です。
現代では「零れる(こぼれる)」とも読みます。
富士の高嶺に、雪が天から降り注いでいる。
そんな景色を思い浮かべることもできます。
また、原文には「真白衣」とあります。
この部分は「真白にぞ」と読みます。
現代の私たちが「衣」という字を見ると、富士山が白い雪の衣をまとっているようにも感じられますね^^
もちろん、これは漢字の字面から広がる、ひとつの想像です。
けれど、ここでもっと大切なことがあります。
実は、この歌の直前には、317番の長歌が置かれているのです。
題詞(だいし)には、
「山部宿禰赤人の富士の山を望める歌一首〔并せて短歌〕」
とあります。
つまり、赤人は富士山を望んで、まず長歌を詠み、そこに短歌を添えたのです。
その長歌が、次の歌です。
天地の分れし時ゆ
神さびて高く貴き
駿河なる富士の高嶺を
天の原ふりさけ見れば
渡る日の影も隠らひ
照る月の光も見えず
白雲もい行きはばかり
時じくそ雪は降りける
語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ
富士の高嶺は
なんとも壮大な歌です。
ここで赤人が描いているのは、単なる山の景色ではありません。
天地が分かれた太古の昔から、神々しく、高く、貴い富士山。
その富士山は、太陽の光さえも隠れ、月の光さえも見えなくなるほど、高く巨大で、
白い雲さえも、その高さに行く手を阻まれるほどなのだ。
そして、季節を問わず雪が降り積もる。
語り継いで行こう。
言い継いで行こう。
赤人は、このように富士山を歌い上げています。
2 富士山は、見えていたのか
もう、すこしだけ掘り下げます。
長歌には、「天の原ふりさけ見れば」とあります。
天を遠く仰ぎ見れば、という意味です。
ところが、そのあとに続くのは、太陽の光も隠れ、月の光も見えず、白雲さえも行く手を阻まれるという描写です。
つまり、赤人は富士山を見上げながら、実際には、目に見えている景色を超えた世界を描いているのです。
もちろん、富士山そのものが見えなかったと断定することはできません。
けれど、少なくとも、長歌に描かれた太陽や月や雲の様子が、すべて同時に赤人の目に映っていたわけではないでしょう。
昼の太陽と夜の月を、同じ瞬間に眺めていたわけではないからです。
では、赤人は何を見ていたのでしょうか。
ここに和歌のおもしろさがあります。
赤人は、
目の前にある富士山を見ながら、
目に見える富士山を超えた存在を心の中に
描いていたのではないでしょうか。
それは、天地開闢以来の悠久の時を生きる富士山です。
人間の一生など、ほんの一瞬にすぎないほどの長い時間。
その時間の中で、太陽が昇り、月が輝き、雲が流れ、雪が降る。
そうした自然の営みを、赤人は富士山という存在に重ねて歌っているように思えるのです。
そして、この長歌の最後に、たいへん重要な言葉が出てきます。
それが、「語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は」です。
この富士を、これからも語り継ぎ、言い継いでいこう。
赤人は、そう歌っているのです。
3 壮大な長歌からたった三十一文字へ
そして、この長歌に添えられたのが、318番の短歌です。
田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ
富士の高嶺に 雪は降りける
317番の長歌では、天地開闢以来の富士山を歌っていました。
ところが、318番の短歌では、観測点が一気に田子の浦へと移ります。
田子の浦に出てみた。
すると、富士山の頂が真っ白になっている。
なんと雪が降ったのだなあ。
いわば、そうした驚きと感動が伝わってきます。
長歌では、天地の始まりから続く壮大な時間の中に富士山がありました。
短歌では、いま田子の浦に立っている、ひとりの人間の目の前の富士山があります。
悠久の時間の中にある富士山
いま目の前にある富士山。
この二つが、長歌と短歌によって結ばれています。
そしておもしろいことに、同じ富士山なのに、観測点が変わることで、まったく違う姿が現れています。
4 百人一首ではなぜ言葉が変わったのか
ところで、百人一首に収められた歌は、『万葉集』の原歌とは少し違います。
『万葉集』では、
「田子の浦ゆ」
「真白にぞ」
「雪は零りける」
でした。
それが百人一首では、
「田子の浦に」
「白妙の」
「雪は降りつつ」
となっています。
「真白にぞ」は、富士山の頂が真っ白になっていることを、力強く伝える言葉です。
そして「雪は降りける」は、雪が降ったのだなあという発見や感動を感じさせます。
一方、百人一首の「白妙の」は、真っ白な布を思わせる言葉です。
そこには、柔らかく、美しい印象があります。
そして「雪は降りつつ」。
こちらは、雪が降り続いている様子を表します。
原歌が、目の前に現れた富士山の姿を捉えているとすれば、百人一首の歌は、雪が降り続く「時間の流れ」までを感じさせる読みになっています。
ここで注意したいことがあります。
百人一首の歌を選んだ藤原定家が、自分でこのように書き換えたとばかり断定することはできません。
和歌は長い年月の間に、さまざまな歌集に採られ、異なる本文が伝わることがあります。
大切なことは、どちらの読み方にも、それぞれの美しさがあるということです。
そして、長歌と短歌を合わせて読むことで、赤人の歌が持っていた世界の広がりが、いっそう鮮やかに感じられるのです。
5 三十一文字が見えない景色を見せてくれる
さて、ここで百人一首の歌に戻ってみましょう。
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
この歌には、青い海とも、青空とも書かれていません。
富士山の高さも、雪の量も、詳しく説明されていません。
それなのに、私たちの心には、雄大な富士山の姿が浮かんできます。
人によっては、青い海の向こうにそびえる富士山を思い浮かべるでしょう。
ある人は、澄み渡った空の下に輝く白い山頂を想像するかもしれません。
実際に田子の浦を訪れたことのある人なら、自分が見た景色を重ねるかもしれません。
同じ歌を読んでいるのに、心に浮かぶ富士山は、人によって少しずつ違います。
けれど、それでいいのです。
むしろ、そこに和歌の豊かさがあると思うのです。
和歌は、すべてを説明しません。
説明しないからこそ、読む人の心の中に、景色が広がります。
現代なら、美しい富士山を伝えるために、写真や動画を使うことができます。
けれど、赤人の時代には、カメラなどありません。
そこで使われたのが、言葉です。
しかも、たった三十一文字(みそひともじ)。
その三十一文字が、千三百年後の私たちの心に、富士山を描き出してくれるのです。
6 千三百年前の約束
そして、ここでもう一度、317番の長歌の最後を思い出してみたいと思います。
「語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は」
赤人は、富士山の姿を後世に語り継いでいこうと歌いました。
それから、およそ千三百年。
いま、私たちは赤人の歌を読んでいます。
そして、赤人が見た富士山を、心の中に描いています。
これは、考えてみると、すごいことです。
赤人は、私たちのことを知りません。
私たちも、赤人に会ったことはありません。
生きている時代も、暮らしている社会も、まったく違います。
それなのに、赤人が遺した言葉によって、私たちは同じ富士山に心を向けることができます。
赤人が「語り継いでいこう」と歌った、その言葉が、千三百年後の私たちに届いています。
そして、私たちがこの歌を読み、子供たちに伝え、さらに次の世代へと手渡していけば、その言葉は未来へと続いていきます。
私は、ここに日本の古典文化のすばらしさがあると思います。
7 和歌は時代を超えて人を結ぶ
ここで「Relation(関係性)」という観測点から考えてみましょう。
普通、関係性というと、親子、夫婦、友人、職場の仲間など、同じ時代を生きている人と人とのつながりを考えます。
けれど、人と人との関係は、必ずしも同じ時代を生きている人の間だけにあるものではありません。
千三百年前の人が遺した言葉が、現代を生きる私たちの心を動かす。
その言葉を受け取った私たちが、また新しい何かを感じ、考え、次の世代へと伝えていく。
そこにも、立派にRelationが成立しています。
そして、ここでもうひとつ大切になるのが「余白」です。
赤人は、富士山のすべてを説明していません。
だからこそ、私たちは自分の心の中に、自分なりの富士山を描くことができます。
作者がすべてを決めてしまうのではなく、余白を置く。
読む人がまた、その余白から、歌の世界に参加する。
作者が言葉を遺し、読者が心の中で景色を完成させているのです。
ここに、作者と読者の「あいだ」で生まれる「結び」があります。
しかも、その結びは、一度きりではありません。
ある人が歌を読み、感動し、
その人が、別の人に歌を伝える。
伝えられた人が、また新しい感動を得る。
そして、さらに次の人へと伝えていく。
そうして、歌は時代を超えて生き続けます。
完成したものを保存するだけが文化ではありません。
受け取る人によって、新しい意味や感動が生まれ続ける。
そこに、文化の持つ本当の力があるのではないでしょうか。
8 百人一首は未来への贈り物
山部赤人は、柿本人麻呂と並び称される、奈良時代を代表する歌人です。
『古今和歌集』の仮名序で、紀貫之は人麻呂と赤人を高く評価しています。
人麻呂は赤人より上に立つことが難しく、赤人もまた人麻呂より下に置くことが難しいと言われます。
それほどの歌人として、二人を並べているのです。
そして百人一首では、三番歌に柿本人麻呂、四番歌に山部赤人が置かれています。
三番歌の人麻呂は、
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む
という歌でした。
こちらは、長い夜をひとりで過ごす人の心を詠んでいます。
そして四番歌の赤人は、富士山の雄大な景色を詠んでいます。
人の心を描くこともできる。
自然の景色を描くこともできる。
そして、そのどちらも、千年以上の時を超えて、現代の私たちの心に届く。
藤原定家が、この二首を続けて配置した意図を断定することはできません。
けれど、二首を並べて読むと、和歌という文化が持つ表現の豊かさが、いっそう鮮やかに見えてくるのではないでしょうか。
百人一首は、単に昔の人が詠んだ歌を集めたものではありません。
そこには、さまざまな時代を生きた人々の喜びや悲しみ、感動や願いが込められています。
そして、その歌を読む私たちは、昔の人の心に触れ、自分自身の心の中にも、新しい景色を生み出していきます。
歴史を学ぶということは、昔の出来事を覚えることだけではありません。
昔の人が何を見て、何を感じ、どのように生きていたのか。
その人の観測点に立って、世界をもう一度見てみること。
そこに、歴史や古典を学ぶ大きな楽しさがあるのだと思います。
千三百年前、山部赤人は富士山を望みました。
そして、その感動を歌にしました。
長歌の最後には、
「語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は」
とあります。
実際、その言葉が、いまも私たちに届いています。
赤人が見た富士山と、私たちが見る富士山は、まったく同じではありません。
時代も違えば、山の姿も少しずつ変わっています。
けれど、赤人が美しいと感じた世界に、私たちもまた、心を重ねることができます。
そして、その感動を、さらに未来の人々へと伝えていくことができます。
千三百年前の人が見た景色を、いまの私たちも見ることができる。
それは、千三百年前の景色を正確に再現するということではありません。
その人が美しいと感じた世界に、私たちもまた、心を重ねることができるということです。
和歌は、時代を超えて人と人を結ぶ、三十一文字の贈り物。
千三百年前の山部赤人から、今日の私たちへ。
そして、今日の私たちから、まだ見ぬ未来の人々へ。
富士山の白い雪は、これからも、人々の心の中に降り続けていくのかもしれません。
——今日も良い一日を♪
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