「どうしてだろう?」その小さな問いを、大人に笑われず、むしろ励まされた記憶があります。子ども時代の体験を手がかりに、日本が本来育んできた「問いを大切にする学び」と、信頼を軸にした文明の姿について、振り返ってみたいと思います。

アポロ11号が月面に着陸したのは、1969年(昭和44年)のことでした。
当時12歳で中学1年生だった私は、テレビに映し出される月面着陸の様子を見て、「すごいなあ、すばらしいなあ!」と思う一方で、どうしても気になることがありました。

「この着陸船で、どうやって月面から離陸するのだろう?」

地球から月に向かうときには、三段構えの巨大なロケットエンジンで打ち上げられ、出発の時間も、秒単位で計算された最適なタイミングが選ばれます。
ところが、月から地球へ帰るときは、どうも様子が違う。
出発時間に細かな制約もなく、ひょろひょろとした月面着陸船には、どう見ても巨大な推進エンジンが付いていないのです。

月には地球の6分の1とはいえ、重力があると聞いていました。
それなら、引力圏を脱出するためのエンジンが必要なはずなのに、それが見当たらない。
「どうしてだろう?」と周囲に言ったところ、みんなが興奮している最中だったこともあり、かなりの顰蹙を買いました(笑)。

同じようなことは、小学3年生のときにもありました。
学校で恐竜を習い、ティラノザウルスやスーパーサウルスが森で生活している挿絵を見て、クラスは大盛り上がりでした。

その頃、私たちは草ぼうぼうの野原で走り回って遊んでいました。
半ズボンの男の子は、すぐに足が傷だらけになります。
葉の縁にあるオパール質で、皮膚が簡単に切れてしまうからです。
だから私は、「森で暮らす動物には、毛が必要だ」と実感として知っていました。

ところが、挿絵の中の恐竜たちは、みんな丸裸です。
森には枝があり、折れた枝は鋭い刃物になります。
そんな場所で毛もなく生きられるのだろうか。
さらに、海で暮らす恐竜も同じように描かれていましたが、海中では皮膚はふやけ、岩に当たれば大怪我をします。
ウロコか、柔らかい体でなければ生きていけないはずです。

「この絵、おかしいんじゃない?」

そう言った私は、またしても「変なことを言うやつだ」と言われました(笑)。

わからなかったことは、算数にもあります。
小3で習った分数の割り算です。

2分の1割る2分の1は1になる。
でも、りんごを半分に割って、それをもう一度割ったら、どう考えても4分の1です。
なのに、計算では元に戻るという。
先生は「分母と分子をひっくり返して掛け算すればいい」と教えてくれましたが、私にはどうしても腑に落ちませんでした。

以後、算数は苦手科目になりました(爆)。

いま思い返せば、ずいぶん変な子だったと思います。
いまなら「発達障害」などの病名が付いたかもしれません。

けれど、当時の先生は違いました。
戦前戦中の教育を受けてきた先生は、こうした疑問を持つ私に、こう言ってくれたのです。

「君はすごい。
 そんな不思議を解明できる大人になりなさい」

この一言は、私の心を大きく動かしました。
図書館に通い、背伸びして上級生向けの本を読み、不思議を解き明かそうとした記憶はいまも鮮明です。

思うに、世の中は信頼関係を軸にしなければ、良い方向には回りません。
不信を前提に相手を評価し、見下し、文句や苦情ばかりを並べ立てる社会では、人の心は次第に壊れていきます。

もちろん、完璧な世の中などありません。
けれど問題があるなら、それを相手を責める材料にするのではなく、自分ごととして、皆で解決に向かう。
それを文化として育ててきたのが、日本という国だったのではないでしょうか。

近年、「被害者」という言葉が頻繁に使われます。
理不尽な犯罪に巻き込まれた人は、間違いなく被害者です。
ただ、交通事故のように、多くの場合、加害者と被害者の境界は単純ではありません。

日本文化は、個だけを切り離して評価する文化ではありません。
人と人との関係性を大切にし、その関係をどう育てるかを考えてきた文化です。
民度が上がれば、国も、企業も、社会も必ず良くなる。

いま思えば、私が子どもの頃に出会った先生の姿は、日本が長い時間をかけて育ててきた「学びの文化」そのものでした。
正解を覚えさせるのではなく、問いを持つことを尊び、すぐに答えを出さずに、考え続ける力を「信じる」。
それは、成果や効率を最優先する近代的な教育観とは、まったく異なる世界観です。

実は、倭塾でお伝えしている歴史や古典も、すべて同じところにつながっています。
答えを与えるためではなく、
「どうしてだろう?」という問いを、
もう一度自分の中に取り戻す。

その問いを大切にできる社会こそが、日本が本来育んできた文明の姿だし、
そうした在り方こそを、たぶん日本の神々は、いちばん大切に見守ってこられたのではないか。
私はそんなふうに思うのです。


倭塾サロンでは、こうした「問い」を手がかりに、歴史や古典を通して、もう一歩深く考える時間を大切にしています。ご関心のある方は、覗いてみてくださいね。
◯倭塾サロン https://salon.hjrc.jp/

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