コンビニには、無数の商品が並んでいます。どれでも自由に選べるはずなのに、気がつけば、いつも同じものを手に取っている。この小さな違和感は、実は現代社会の本質を映しています。選択肢が増えたはずの時代に、なぜ人は選べなくなっているのか。コンビニという身近な存在から、「選ぶ」と「決める」の違い、そして私たちに必要な「出口」の在り方を考えてみたいと思います。

私たちは、これほど選べる時代に生きていながら、
なぜか「選べなく」なっています。

いまではすっかり、私たちの生活に欠かせない存在となったコンビニ。
ふと立ち寄れば、明るい店内に、所狭しと商品が並んでいます。

お弁当、飲み物、お菓子、雑誌。
どれも魅力的で、「何でもある場所」です。

けれど、ここにひとつの問いがあります。

これだけ選択肢があるのに、
私たちは本当に「選んでいる」と言えるのでしょうか。
気がつくと、毎回同じお弁当を手に取っている。
そんな経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。

コンビニの歴史を振り返ると、実に興味深いことが見えてきます。
日本のコンビニは1970年代に誕生しました。

1974年、セブン-イレブン1号店の開業を皮切りに、
・24時間営業
・POSシステムによる購買データの管理
・宅配便や公共料金の支払い
・ATMや行政サービス
といった機能を次々と取り込みながら進化してきました。

いまでは国内5万店舗以上。
コンビニは、単なる小売業ではなく、
「生活インフラ」と呼ばれる存在になっています。

そしてもうひとつ、見逃せない変化があります。
それは、選択肢の爆発的増加です。

かつて人の生活は、いまほど多くの選択肢に囲まれてはいませんでした。
食べるものも、買う場所も、ある程度は限られていたのです。

ところが現代は違います。
コンビニの棚を見ればわかるように、
選択肢は無限に近いほどに増えました。

一見すると、それは自由の拡大です。
好きなものを、好きなだけ選べる時代です。

けれど、ここにひとつの逆説があります。

選択肢が増えるほど、人は選べなくなる。
なぜなら、人は「選択肢」ではなく、
「基準」によって選んでいるからです。
基準がなければ、どれが良いのか判断できません。

すると人は、
・いつものものを選ぶ
・目立つものを選ぶ
・おすすめされたものを選ぶ
という状態になります。

ここで、もうひとつ大切なことがあります。

かつての日本人は、この「基準」を、外に求めてはいませんでした。
たとえば、「お天道様に恥じないか」、
あるいは「中今を外れていないか」。
こうした感覚は、誰かに教えられたものではなく、
それぞれの内側に育てられてきたものです。

つまり、日本人は本来、
内面の確かな基準によって生きていたのです。

ところが現代はどうでしょうか。
「おすすめ」
「ランキング」
「トレンド」
私たちは、いつのまにか、
自分の外にある基準によって選ぶようになってしまいました。

つまり、選んでいるようでいて、実は選んでいない。
これは、「選ばされている状態」です。

こうした現象は、コンビニだけの話ではありません。
スマホの中でも、同じことが起きています。
SNSを開けば「おすすめ」が並び、
動画アプリを開けば、次々と関連動画が再生される。

人は、自分で選んでいるつもりで、
実は選ばされているのです。

「どうしてそんなこと知っているの?」
「いや、いま話題だよ」
「自分のところには出てこないけど…」

そんな会話が日常的に起きています。

コンビニの棚も、スマホの画面も、
どちらも現代社会の縮図なのです。

この状態を、あえてひとつの言葉で表すなら、
「視覚狭窄」と言えるかもしれません。

本来は選択肢が増えているのに、
自分の見ている範囲は、むしろ狭くなっていく。
中心だけが見えて、周囲が見えなくなる。
いわば「トンネルビジョン」の状態です。
もしこれが病として進行すれば、
やがて視界そのものを失う危険さえあります。

同じように、選択肢が無限に広がった結果、
人は逆に、狭い範囲の中でしか判断できなくなり、
やがて何も選べなくなる可能性すらあるのです。

ここで本当に問題なのは、
選択肢の多さではありません。
問題は、「どこへ向かうのかが決まっていない」こと。

ここで、もう一歩踏み込んでみます。

私たちは普段、「選ぶ」という言葉を使います。
けれど本来、
「選ぶ」と「決める」は、まったく別のものです。

選ぶとは、提示された選択肢の中から選択すること。
いわば、コンビニの棚から商品を手に取るような行為です。
一方で、決めるとは、自ら進む道そのものを定めることです。

どこへ向かうのかを先に決める。
そのうえで、必要なものを選ぶ。
この順番が逆になると、人は流されます。

これは「出口設計」の問題です。

たとえば、夕食に何を作るか決まっていれば、
コンビニで買うものも自然に決まります。
和食なら、それに合うもの。
軽く済ませるなら、それに合うもの。

けれど、何も決まっていなければ、選べない。
だから人は流されるのです。

では、どうすればよいのでしょうか。
答えは、とてもシンプルです。
自分なりの「出口」を持つこと。

・何を大切にするのか
・どんな一日を過ごすのか
・どんな人生を生きるのか
出口がある人は、迷いません。

選択肢が多くても関係ない。
必要なものを、自分の意思で選べるからです。
逆に、出口がない人は、
選択肢が増えるほど流されていきます。

コンビニは、ただ便利な場所ではありません。
現代社会の縮図でもあります。

そこに並んでいるのは、商品というだけではなく、
「選択」という問題そのものなのです。

選べる時代だからこそ、
選ぶ力が問われています。

そしてその力は、
知識や情報の多さではなく、
日々の姿勢から生まれるものです。

だからこそ、いま問われているのは、
「何を選ぶか」ではなく、
「どう生きるか」が、問われているのです。

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■ 英語版ブログ(Learning Bushido)
 Why We Can’t Choose in an Age of Infinite Choice
  — What a Convenience Store Reveals About How We Live

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■有料版ブログ(倭塾サロン)
 選べない時代の正体――「決めない人間」が支配を生むという構造
  https://salon.hjrc.jp/?p=3569

 

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