現代教育では、その常識として法治こそ素晴らしい最高の形だと教えます。
子供の頃に教えられた、というより刷り込まれたことは、その人にとっての常識になりますから、その通りに素直に信じておいでの方が多いです。

ところが『論語・為政篇』に、次の言葉があります。

子曰、為政以徳 譬如北辰居其所 而衆星共之
子曰、導之以政 斉之以刑 民免而無恥
   導之以徳 斉之以礼 有恥且格

ねず式で現代語訳します。

孔子いわく
「徳をもって政治を行えば、
 北極星が天の中心にあって
 他の星が北極星の周りをめぐるように、
 すべてがうまく回ります」
孔子いわく
「政治の導きを刑によって行えば
 民衆は法の網をくぐり抜けて恥じることがなくなり、
 世の中にとんでもない悪人が生まれます。
 道徳と礼節で民衆を統治すれば、
 徳による導きと、礼をあまねく行うことで
 民衆の品格は上がり、恥を知るようになるのです」

この思想は、実は法治主義とはまったく異なるものです。
ちなみに「◯◯主義」というのは、常に「ないものねだり」です。
現実に、現代では法律を万能薬のように考え、事細かに法制度をつくれば世の中が良くなるとばかり、複雑怪奇な、誰も詠んだことがないような法律を山のように作っています。
けれど、世の中は良くなるどころが、どんどん民度が下がっています。

この節で、孔子はいわゆる「法治主義」を完全否定しています。
その孔子は、紀元前551〜紀元前479年に生きた人です。
いまから2400年も前のチャイナの孔子が明らかに否定したことが、現代では逆に信じられている。
果たして人類は進化したといえるのかは、はなはだ疑問にさえ思います。

孔子は「法や刑罰で政治を行なえば、人心は必ず乱れる」と説いているのです。
では、そのためにどうしたら良いのかといえば、
「徳をもって政治を行え」
というのです。

「徳」というのは、「悳(とく)」のことで、これに行人偏が付いて「徳」になります。
「悳」というのは「真っ直ぐな心」のことです。
「彳」は、「行く」という漢字の省略形で、進むことです。
つまり「徳」とは、
「真っ直ぐな心で進むこと」
を言います。

では、真っ直ぐな心とは、どのような心を言うのでしょうか。
その定義はできません。
ただいえることは、人に迷惑をかけないとか、感謝するとか、義理を大切にするとかです。
そしてそれらは、「ひとりひとりが心がけること」であって、社会的に「こうだ」と定義するものではありません。
そもそも、どの道が真っ直ぐな道なのか。
それは神様でもなければわからないことです。

けれどそんなわからない道であっても、ひとりひとりがまっすぐに生きることを心がける。
ひとりひとりが、こうしてまっすぐに生きようと努力することで、世の中全体が、まっすぐになる、というのが孔子の思想であり、日本の縄文以来の思想です。

理由は簡単です。
社会というものは、その社会を構成するひとりひとりが築くものだからです。

そして社会であれば、もちろん決め事は必要です。
土地の境界をどのようにあきらかにするかとか、親族とはどこまでのことを言うとか、相続はどのようにするか、あるいは税制をどのようにするかなど、世の中には、決め事が必要です。
けれど、それらを守らなくて刑罰を与えるとき、その刑罰を法制化するかどうかが問題です。

法制化すれば、かならず法の抜け道を探す者が現れます。
あるいは、法制化してあっても、見つからなければ、捕まらなければ、何をやっても良いということになります。
そうなると、必ず治安は悪化します。

世の中には、順番があるのだと思うのです。
民度が低く、徳をもって生きるなどと言っていると、いつ災難に遭うかわからないような、民度が荒れた国では、厳罰主義をもって徹底的に悪を排除していかなければなりません。
そのために国は、軍を持って、抵抗する者に戦車を用いることも必要になります。
(天安門事件に関しては、否定的論調が多いですが、たとえ民主化のためとはいえ、学生たちが行った実力行使は、国家としては許せることではないということも我々は考える必要があります)

軍事力は、国が独占します。
その軍事力は、対外的なミサイルや戦闘機をどれだけ保有しているかばかりが問題視されますが、実際には国内治安に使えるかといった、いわば陸戦兵力の確保が、絶対に必要です。
なぜなら、それが軍の実力だからです。

国は、軍事力を独占することで、国としての強制力を発揮します。
平時は警察力で対応しますが、非常時は軍事力で対応するのです。

そういう意味で、民度の低い国では、強力な国軍、苛斂誅求な警察力、厳罰主義のための法律制定が不可欠です。
しかしこのことは、多くの普通の民衆には、迷惑なことです。

だから民度を上げる。
民度が上がるとは、ひとりひとりが「真っ直ぐな心で生きる道」を大切にする、そういう国柄です。
そうした高い民度を開くことこそが、政治であると、冒頭の孔子は述べているのです。

ちなみに犯罪の発生件数について、最近、メディアなどで実によく目にするのが、
「戦前と比べて、いまの日本は犯罪件数は減ってきているのだ」というご高説があります。
典型的な詭弁(きべん)です。
戦前においては、凶悪犯を犯した者を逮捕する、というのではなく、凶悪犯に至る前に、できるだけ事件が小さな火種であるうちに逮捕する、というのがあたりまえだったからです。

重大な交通事故の発生件数と、重大事故を防ぐための予防的な交通取り締まりの件数を比較すれば、後者の方が比較にならないくらい件数が多いのはあたりまえです。
むしろ戦前の後者の件数に、最近の前者の件数が追いついてきていることが問題です。

これが江戸の昔まで行くと、もっと大きな違いに驚かされます。
奉行所は、犯罪予防のための機構であって、重大犯が出ればお奉行は切腹です。
川崎中1児童殺害事件なら、川崎の町奉行は事件後すみやかに切腹、犯人逮捕の指揮は新たな奉行が取り、捜査に間が開かないように与力達は全力を尽くすのが普通でした。
ではいまの日本で、現実に事件が起きた時、校長、学年主任、担任教師、所轄警察署署長、市長の中で、誰か一人でも責任をとった人がいたでしょうか。

また、江戸の小伝馬町には、有名な牢屋がありましたが、当時の牢屋というのは、いまで言ったら未決囚を入れておくところであって、刑罰として犯人を入れておくところではありません。
刑が決まれば、その刑に応じて、遠島なり、所払いなり、笞打ち、あるいはサッサと打首にしていました。
懲役にすることが目的ではなくて、犯罪を防ぐことが目的だったからです。

社会というのは、どんなことにも分布がつきまといます。
法治主義であれ、徳治主義であれ、社会には良い人から悪人まで、人々は必ず正規分布するものです。
つまり、どのような統治の形態をとったとしても、必ず悪人というのは出るものなのです。
従って、治世に必要なことは、全体としての民度をいかに向上させて、より悪質な犯罪者が出ないようにしていくということが求められます。
百点満点中の平均点が60点の学校と、40点の学校では、特に低位の生徒たちの問題行動に開きが生まれます。
これと同じです。

我が国では、
604年には十七条憲法が発せられ、
645年には復古運動として「シラス」国の再建を目指した大化の改新、
701年には大宝律令、
757年には養老律令が発せられました。

律令というのは、「律」が刑事法、「令」が民事法です。
中世には「令集解」などの国法の解説書が書かれたりもしていますが、そこに書かれているのは民法である「令」の解説ばかりで、刑法である「律」については、解説書どころか、具体的な律そのものが未完成なままに据え置かれました。

どういうことかというと、ひとつには、「律」を作る必要がないほど我が国の民度が高かったということ。
もうひとつは(むしろこちらが重要なのですが)「律」は、事細かに決めないほうが良いと考えられていたからです。
なぜかというと、「これをしたら刑罰を与えます」と決めれば、その「律」の抜け道を考える馬鹿者が必ず出ます。
そうではなくて、たとえば昨日起きた女性保育士殺害事件の犯人のように、日常業務をしている中で、すでに目付きがおかしいとなった時点で、隔離すべきなのです。
事件というのは、起きてからでは遅いのです。
起きる前に、いかに抑えるかが問題なのです。
だから我が国では「律」は、むしろ曖昧に据え置かれたのです。

そして「誰も見ていなくてもお天道さまが見ていらっしゃる」、「自分に恥じない生き方をせよ」などと社会全体での教育を国民の隅々にまで浸透させたのです。

このことは十七条憲法にも書かれています。
第11条で「明察功過」が説かれ、常に「予防」に力点が置かれたのです。
このため、厳罰に処するほどの犯罪自体がほとんど起きないという時代を、日本は何度も築くことに成功しています。

明治に入って、我が国は西洋から法治主義を取り入れましたが、民間レベルでは、町の駐在さんは、町の治安を予防することを役割としました。
だからこそ駐在さんは、誰からも信頼され、愛される存在となりました。
そして地域でも、学校でも、教育の根幹は徳育にあると、誰もが信じていたし、また教師はそのように行動していたし、生徒もまた、道徳心を涵養することこそ、人の道と誰もが信じていました。

戦後のGHQは、こうした日本の美点を破壊し、警察はあくまで起きた犯罪を捜査し、犯人を逮捕するのが仕事としました。
刑務所も、犯罪を「起こした」者を放り込む収容所へと変化しました。
こうして戦後70年が経過すると、いまではすっかり、民衆を法による刑罰で統治する、というのが、あたりまえの感覚に日本人は染まってしまいました。

その結果、2400年も前に孔子が為政篇で述べた言葉、「民衆を法による刑罰で統治すれば、民衆の中に、法律の網をくぐり抜けて恥じることがないような、とんでもない悪人が誕生する」の通りになってしまっています。

なんでもかんでも戦前を良しとする、戦前を美化するというのは、間違っていると思っています。
しかし、戦前であれ、江戸の昔であれ、中世であれ、あるいは西洋であれ東洋であれ、そこに学ぶべきものがあるならば、それはしっかりと学び、洋の東西を問わずに、良いものはどんどん取り入れて、より良い未来を築いていくというのが、いまを生きている大人たちの使命です。

人間の世に完璧なものなどありません。
どんな施策であっても、かならず良い面、悪い面が生じます。
けれど、良くないところがひとつでもあるからと、全否定するのではなく、「より良い」状態を常に切り開いていく努力こそが大事です。

※この記事は2019年4月のねずブロ記事のリニューアルです。

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