「なんとなく気になる」
そんな小さな感覚を、つい「気のせい」で終わらせてしまうことがあります。けれど、本当に大切な変化は、案外、その「違和感」の中に隠れています。人間関係も、社会も、歴史も、大きな崩れは突然起きるわけではありません。小さな乱れを見ないふりしたとき、問題は少しずつ大きくなっていきます。
今回は、平家政権と徳川家康公の対比を通して、「違和感に気づく力」について考えてみたいと思います。

気づきは、小さな違和感の中に隠れている

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人は、はっきりした失敗や、大きな問題には気づきやすいものです。
けれど、本当に大切な変化は、案外、小さな「違和感」として現れます。

なんとなく空気が重い。
なぜか心が落ち着かない。
以前は楽しかったのに、どこか無理をしている気がする。
説明はできないけれど、「何かが違う」。

そういった感覚です。

現代社会では、そのような小さな違和感は、むしろ、「気のせいだ」「考えすぎだ」と、打ち消されることが少なくありません。
けれど実際には、その小さな違和感こそが、自分自身を守る大切な感覚だったりします。

たとえば、人間関係です。
最初から大きな亀裂が生まれるわけではありません。
ほんの小さな言葉、わずかな態度、微妙な空気感といった、小さな違和感。
これを放置し続けると、多くの場合、関係が壊れます。

逆にいえば、小さな違和感の段階で整えることができれば、大きな対立にならずに済むかもしれないのです。

社会も同じです。
歴史を見ても、大きな混乱は、突然起きたわけではありません。
人々が感じていた「何かおかしい」という感覚を、「まだ大丈夫」と見ないふりを続けた結果、問題が巨大化し、ついには世間を巻き込む大きな騒動に発展していく。

たとえば平清盛の平家政権です。
清盛は1167年に武士として初めて太政大臣に就任してから、長男・重盛や一門で朝廷の要職を独占しました。
そして1170年代後半まで、外戚政策による権力掌握と日宋貿易の独占で、巨万の富と絶対的な権力を持つ存在となりました。
しかしその絶頂期は、実質わずか数年の出来事でした。
絶頂期に、崩壊が始まっているのです。

一方、260年以上続く江戸幕府の礎を築いた徳川家康公は、「昇りきらない」ことを自らに課した人物として知られています。

家康は、天下人となった後も粗食を好み、麦飯や一汁一菜の質素な食事を貫きました。
家臣が豪華な食事を用意した際には、
「農民の苦労を思えば、自分だけ贅沢できるか」
と怒ったという逸話も残っています。

また家康は、
「堪忍は長久の基(もとい)」
「贅沢をしたくなったら、三河時代の苦労を思い出せ」
と語り、油断や奢りこそが、滅びの入口になることを戒めました。

つまり家康は、
「人は、調子が良いときほど、小さな乱れや違和感に鈍くなる」
ということを知っていたのです。

本当に恐ろしいのは、外から現れる敵ではない。
油断や不和、奢りといった、「小さな乱れ」が、自分たちの内側から生まれること。

だからこそ、小さな違和感を見逃さない。
その姿勢こそが、長く続くための知恵だったのだと思います。

違和感は、不満とは違います。
誰かを責める材料でもありません。
むしろ、「整っていない気がする」と、自分自身の内側に立ち上がる「小さなサイン」です。

そして、その違和感に丁寧に向き合える人ほど、人生を大きく壊す前に、少しずつ整えることができます。

気づきは、いつも大声ではやって来ません。

案外、
「なんとなく気になる」
その小さな感覚の中にこそ、
未来を変える入口が隠れているのだと思います。

——今日も良い一日を♪

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