議論に勝った。相手を言い負かした。けれど、そのあとに人間関係が壊れてしまったとしたら、それは本当に「勝った」といえるのでしょうか。目の前の勝敗だけではなく、「最後に、どんな景色をみんなで見るのか」を先に思い描いてみる。すると、対立していた相手さえ、未来をともにつくる存在に見えてきます。神武天皇の建国の物語にも通じる、出口設計とRelationによる「結び」について考えてみます。

今日のひとこと・出口を先に思い描くと、目の前の勝ち負けより大切なものが見えてくる

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出口を先に思い描くと、目の前の勝ち負けより大切なものが見えてくる。

私たちは、仕事でも、家庭でも、様々な議論でも、何か問題が起きると、つい
「どちらが正しいのか」
「どちらが勝つのか」を考えてしまいます。
そして、自分の意見を通したい、間違っている相手を納得させたい、自分が正しいことを証明したいと考えがちです。

けれど、そこで一度、問いを変えてみたいのです。
「最後に、どうなっていたいのだろう?」

たとえば家族との言い争いなら、相手を言い負かすことが、本当に望んでいる出口でしょうか。
議論に勝った。
相手は黙った。
けれど、そのあと二人の間に深い溝が残った。
これでは、目の前の勝負には勝っても、大切なものを失ってしまったことになります。

仕事でも同じです。
自分の部署が得をした、自分の会社だけ儲かった、自分が高く評価された。
それはそれで良いことです。
けれど、その結果、取引先が疲弊し、仲間が離れ、お客様からの信頼を失ったなら、その「勝ち」は、本当の「勝ち」なのでしょうか。

だからこそ、最初に出口を思い描く。

最後に、みんなが笑顔でいられるだろうか。
この関係は、そのあとも続いていくだろうか。
子どもや孫の世代に、胸を張って渡せる結果になるだろうか。

出口を先に置くと、不思議なことが起こります。
たとえ戦いがあったとしても、その相手が同じ出口へ向かう仲間に見えてくるのです。

意見が違っていてもいい。
立場が違っていてもいい。
大切なのは、どちらが勝つかではなく、違う者同士が、どんな未来を一緒につくることができるかにあるからです。

勝ち負けを考えると、世界は「私」と「あなた」に分かれます。
けれど出口を考えると、その間に「私たち」という新しい可能性が生まれます。
これが、出口設計とRelationによる「結び」です。

歴史を振り返ってみても、目の前の勝利を求めたために、その後の大きな禍根を残した例は数え切れません。
逆に、自分の勝利だけではなく、その先にある人々の暮らしや社会の安定まで考えた選択は、時代を越えて人々を結んできました。

初代・神武天皇は、九州の日向を出発され、畿内へと向かわれました。
けれど畿内では、ナガスネヒコとの間に戦いが起こりました。
戦況は必ずしもよいものではありませんでしたが、戦いのさなか、金色の鵄が神武天皇の弓の先に止まり、その神々しい光によって敵軍は戦うことができなくなったと『日本書紀』は伝えています。

大切なことは、その後です。
ナガスネヒコが奉じていたニギハヤヒは、神武天皇が天つ神の御子であることを認め、帰順しました。
そしてニギハヤヒの系統は、のちの物部氏へとつながり、朝廷を支える大きな力となっていきました。
戦いの勝者が敗者を消し去るのではなく、同じ国の未来を担う力として結ばれていったのです。

「いま、どちらが勝つか」は、生き残りのために大切なことです。
けれど、「最後に、どんな景色をみんなで見るのか」は、もっと大事なことです。
出口が見えれば、いま選ぶべき一歩も変わるのです。

出口を先に思い描くと、目の前の勝ち負けより大切なものが見えてきます。
そして、その「大切なもの」とは、もしかすると勝利そのものではなく、
その先にも続いていく、人と人との結びなのかもしれません。

——今日も良い一日を♪

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