私たちは、自分ひとりの力だけで生きているわけではありません。命も、言葉も、文化も、知恵も、そして志も、過去から受け取ったものです。では、それを自分のところで終わらせず、未来へ手渡すとは、どういうことでしょうか。日本神話や歴史を「Relation=関係性」の視点から眺めてみると、「結び」という日本文化の大切な姿が見えてきます。

今日のひとこと・結びは、受け取ったものを自分のところで終わらせず、未来へつないでいく。

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結びは、受け取ったものを自分のところで終わらせず、未来へつないでいく。

私たちは、たくさんのものを受け取って生きています。
親から受け取った命もそうですし、家族からの愛情、先生から教わった様々なこと、先輩から学んだこと、友人からの励まし、そして、はるかな昔から受け継がれてきた言葉や文化、暮らしの知恵など。
考えてみれば、自分ひとりで生み出したものなど、ほとんどありません。

いま自分が当たり前のように使っている言葉さえ、自分がつくったものではありません。
数え切れないほど多くの人たちが、長い歳月をかけて受け継いできたものを、私たちは受け取って使っています。

けれど、受け取るだけなら、そこで流れは止まります。
誰かから教わったことを、次の人に伝え、
受けた親切を、別の誰かへの親切に変える。
先人から受け継いだ文化を、いまの時代に合う形にして子や孫へ渡していく。
そうすることで、受け取ったものが自分を通り抜け、未来へと流れていきます。

これが「結び」の大切な働きなのだと思います。

日本には昔から「恩送り」という言葉があります。
誰かから受けた恩を、その人だけに返そうとするのではなく、次の誰かへ渡していく。
すると、一対一で完結していた関係が、時間を超えた大きなつながりへと広がっていきます。

これは文化や伝統についても同じで、
伝統を守るというと、「昔の形をそのまま保存すること」のように思われがちです。
けれど、本当の継承とは、過去をそのまま凍結することではないのかもしれません。
先人が何を大切にしていたのか。
そこにどんな願いがあったのか。
その心を受け取り、いまを生きる自分が考え、次の時代に届く形へと整えて手渡していく。
だから私たちは、過去と未来の「あいだ」にいます。

考えてみれば、「時間」という言葉は、「時」と「間」によって成り立っています。
その「とき」だけではないのですね。
「あいだ」が大事と書いてある。

過去から受け取ったものを、自分の所有物にするのではなく、自分という場所を通して未来へ渡していく。
この Relation が、日本文化の根幹なのではないでしょうか。

『古事記』や『日本書紀』にある神話は、イザナギも、スサノオも、大国主も、ニニギノミコトも、山幸彦も、いわゆる英雄譚とはなっていません。
西洋の神話のように、英雄が勝利をしても、勝利したところで物語が終わらない。
イザナギは妻に捨てられ、ヤマタノオロチを退治したスサノオは、あとでオオナムチに娘をさらわれ、大国主は国譲りを迫られ、ニニギと山幸彦は妻の出産を覗いて手痛い目に遭っています。

日本神話は、どうして神様を英雄のままで描写を終わらせていないのか。
そのように考えますと、もしかすると日本神話は、英雄であることよりも、つなぐこと、継承が大事と教えてくれているのかもしれません。

このことは戦国武将たちも同じです。
戦えば、そこには勝敗があります。
けれど、すべての武将たちに共通していることは、勝敗以上に志をいかに継承するかにあったように思います。

先日、動画で淀君が関白秀次を追い詰めたというお話をさせていただいたとき、ある方から「あれは秀吉の命令だったのではないか」というご指摘を受けました。
遠い昔のことです。
ですから事実はわかりませんし、まして人の心の中まで記録されているわけではありません。

茶々姫は、父・浅井長政も、母・お市も、秀吉方との戦いによって失っています。
とりわけ母を失った北ノ庄城の戦いでは、義父の柴田勝家が、「修理の腹の切り様を見て後学にせよ」と声高く叫び、80余名の部下とともに十字切りで切腹したと『毛利家文書』に書かれています。
また別の言い伝えによれば、勝家は切腹のあと、自らの腸をつかみ出し、天守閣の下に群がる秀吉の軍勢に投げつけたとも伝えられています。
壮絶な最期であったのです。

もし茶々姫が、父母の最期と、その志を胸のどこかに抱き続けていたとしたら——。
そう考えて歴史を眺めると、秀次事件から大坂の陣へと至る出来事も、単なる権力争いとは違った姿を見せてきます。

もちろん、何が事実であったのかはわかりません。
遠い昔の人の心の内を、現代の私たちが断定することなどできないからです。

ここで考えてみたいことは、誰が善で誰が悪だったかということではありません。
人は、自分一代だけを生きているのではなく、前の世代から受け取った思いや志を背負いながら生きています。

こうした Relation の視点から歴史を見ると、これまでとは違った景色が見えてくるように思えるのです。
そして日本文化をそのように捉えると、私たち自身の人生もまた違って見えてきます。
「自分は何を手に入れたか」だけではなく、
「自分は何を受け取り、何を未来へ渡したか」に、生きる意味が生じてくるからです。

結びは、人と人をつなぐことだけをいうのではありません。
過去と現在を結び、
現在と未来を結び、
受け取ったものに自分なりの何かを添えて、次の誰かへ手渡していくこと。

私たち自身もまた、長い歴史の中にある一本の「結び目」なのだと思うのです。

——今日も良い一日を♪

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