祈りとは、「願いを叶えてもらうこと」なのでしょうか。
日本人は古来、祈りを「未来を操作する魔法」としてではなく、「いまの自分を整える行為」として大切にしてきました。神社で手を洗い、心を鎮め、姿勢を正す。そこには、日本人ならではの深い生き方の知恵があります。
今回は、「いのり」という言葉の意味や、日本の神々との関係性を通して、日本人にとっての祈りの本質について考えてみたいと思います。

祈りは、未来を願うことではなく、いまを整えること。

_

祈りは、未来を願うことではなく、いまを整えること。

「祈り」と聞くと、多くの人は、
「こうなりますように」
「願いが叶いますように」
という、“未来への願望”を思い浮かべるかもしれません。
もちろん、それも祈りのひとつです。

けれど、日本人が古来大切にしてきた祈りは、少し違います。
それは、未来を無理に動かそうとすることではなく、
まず、自分自身の姿勢を整えることです。

たとえば神社に参拝するとき、
私たちはまず、手を洗い、口をすすぎます。
場を清め、心を鎮め、姿勢を正すのです。

つまり祈りは、神様に何かを要求する行為というより、
自分自身を整えるための行為なのです。

ちょっと想像してみて下さい。

私たち日本人にとって、日本の神々は、
血と霊(ひ)のつながったご祖先です。
言ってみれば、
おじいちゃんやおばあちゃんのような存在です。

そんな祖父母の前に行って、
「彼女を作って下さい」
「合格させて下さい」
「仕事で成功させて下さい」

などと言ったら、
祖父母の立場からすれば、
「おいおい、ちょっと待て」
となりませんか(笑)。

彼女をつくるのは、自分です。
勉強するのも、自分です。
仕事で努力するのも、自分自身です。

だから昔から、日本の祈りとは、
「お願い」以上に、
「決意表明」だったのです。

「良いご縁に恵まれるよう、
 自分自身をしっかり磨いて参ります。
 だから神様、見守っていて下さい」

「志望校に入れるよう、
 一生懸命努力します。
 だから神様、見守っていて下さい」

「お客様にも仕入先にも喜んでいただけるよう、
 誠実に仕事に励みます。
 だから神様、見守っていて下さい」

そういう祈りです。

願い事が叶ったら、
必ずお礼参りに行きなさいと言われる理由も、そこにあります。

決意表明だけして、結果報告がなければ、
そりゃ祖父母だって心配します(笑)。

祈りは「いのり」と読みます。

大和言葉は、一字一音一義です。

「い」は意思。
「の」は広がりとつながり。
「り」は理(ことわり)や利益の「り」。

つまり「いのり」とは、
「筋道の通った生き方を、
 世の中へ広げていこうとする意思」
そういう決意の言葉です。

だからこそ、
祈る前には、自分を整える。

心が乱れると、
言葉が荒れ、
表情が曇り、
判断を誤り、
関係性を壊してしまいます。

逆に、
心が整うと、
人は自然と周囲に安心を与える存在になります。
その姿勢こそが、願いを叶えていく土台になります。

だから日本人にとって祈りとは、
未来を操作するための魔法ではありません。

いまこの瞬間の自分を整え、
より良い未来が生まれやすい状態をつくること。

それが、昔からの日本人の祈りの本質です。

雨の日には雨の日の過ごし方があり、
風の日には風の日の歩き方があります。

未来を力ずくで変えようとするのではなく、
いまを丁寧に整える。

それですぐに結果が出るとは限りません。
むしろ神々は、ときに試練を与えられることすらあります。
整えるからこそ試される。
それでも歩む。
それが日本人の生き方なのだと教わりました。

けれど、日々を意識して整えていくと、
不思議なことに、少しずつ未来の景色まで変わっていきます。

祈りは、未来への逃避ではありません。

「中今(なかいま)」を誠実に生きる、
その姿勢そのものなのかもしれませんね。

今日も良い一日を♪

_

■新刊 大好評予約受付中
これが私の集大成本です。
『思想の時代は終わった』
https://amzn.to/3P5D0lS

_

Screenshot

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。