意見が違ったとき、私たちはつい「どちらが正しいのか」を決めたくなります。けれど、赤と青が結ばれて紫が生まれるように、人と人の違いもまた、新しいものを生み出す入口なのかもしれません。結びとは、違いをなくすことではなく、違うまま一緒に未来をつくること。今日は「結び」が持つ創造の力について考えます。

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結びとは、誰かに従うことでも、誰かを従わせることでもない。互いの違いから新しい可能性を生むこと。
「結ぶ」という言葉を聞くと、私たちはつい、「ひとつになること」を思い浮かべます。
みんなが同じ考えになる。
同じ方向を向く。
意見を合わせる。
たしかに、それもひとつの「まとまり方」です。
けれど、本当の「結び」は、少し違うのではないでしょうか。
たとえば、赤色と青色を混ぜたとき、
色が赤や青になるわけではありません。
青が赤になるわけでもありません。
そこには「紫色」という、それまでなかった色が生まれます。
これが「結び」のおもしろさなのではないでしょうか。
人も同じだと思うのです。
育ってきた環境も、経験も考え方も違う。
得意不得手も違う。
同じ人なんているわけないのに、人を支配しようとした瞬間に、どっちが上か、どっちが正しいのかを決めたくなります。
「オレが正しい」
「いや、アンタが間違っている」
こうして「話し合い」だったはずがいつの間にか、
どちらが相手を納得させるかという勝負になる。
そして、どちらかが勝って、もう一方が従う。
恋愛ものの洋画などを観ると、
彼氏が、彼女のまるで下僕となったかのように片膝をついて指輪を差し出し、
「ぼ、ぼくと結婚してください!!」
で、結婚するとラブラブなのは、ほんのわずかな間で、そのうちダンナが妻を支配し始める。
生活費も必要最小限しか渡さない。
それ以上、何か必要なときは、奥さんがダンナに
「あなた、すこしおカネをちょうだい」と頭を下げ続けることになる。
だから、毎日「Do you love me?」と言わなければならなくなる。
さらに「Do you really love me?」とまで聞かなければならなくなる。
で、「いやもう冷めたよ」とでも返そうものなら、
即離婚で、弁護士を立てて裁判をやって、夫からカネをふんだくって、別な男性をGETする、
なんて物語が描写されたりしています。
それが現実によくあることなのかどうかの議論をしたいのではありません。
結局のところ、そうしたひとつの文化の背景には、
常に「どっちが上か」という個人主義のようなものが、根底となっているのではないか、そんな気がするのです。
英語の「marriage(結婚)」は、古フランス語の「mariage」に由来するとされています。
そして現代では、料理とワインの組み合わせについても「マリアージュ」という言葉が使われます。
料理は料理のまま。
ワインはワインのまま。
どちらかが、どちらかに従うわけではありません。
それぞれが、それぞれの持ち味を保ちながら、組み合わさることで、単独では生まれなかった味わいが生まれる。
考えてみれば、結婚も本来、そういうものなのかもしれません。
「結び」は、相手を支配することでも、自分と同じにすることでもない。
あなたは、あなたのままでいい。私は、私のままでいい。
その二人が出会うことで、
「では、この二人だからこそ生み出せるものは何だろう」と問いながら、それを一生かけて育んでいく。
結婚とは本来、そのような「結び」なのではないか。
そんなふうに思います。
以前、この「今日のひとこと」で、
結びから生まれるものは、あなたのものでも私のものでもない。
「私たちのあいだ」に生まれた新しいもの。
というお話をしました。
いまも、このことは、とても大切なことだと思っています。
人間関係というと、私たちはどうしても、あの人はいい人だ、困った人だ、気が合う合わないといった、相手の「人」を見ようとします。
このことは、一人ひとりを独立した存在である「Entity(実体)」として見ているといえます。
けれど、観測点を少し動かして、
「その人と、その人の『あいだ』に何が起きているのだろう?」と見てみると、
そこに、まったく違った景色が見えてきます。
同じ人でも、誰といるかによって笑顔になったり、緊張したり、思いもよらない力を発揮したりします。
人は、一人だけで完成している存在ではない。
誰かと出会い、関わり、日々、その「あいだ」に新しいものを生み出している存在です。
これが、「Relation(関係性)」です。
そして、そのRelationから新しいものが生まれること。
それが、日本語の「結び」という言葉が持っている、とても豊かな意味なのではないかと思います。
『古事記』の冒頭には、
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
という「むすひ」の神々が登場します。
「むすひ」とは、単に物と物を紐で縛るという意味ではありません。
異なるものが関わり合うことで、そこから新しい生命や働きが生まれていくことです。
だから「むすぶ」という言葉は、
男女が結ばれる、縁を結ぶ、実を結ぶというように、
何かが新しく生まれる場面で使われています。
「おむすび」もそうです。
一粒一粒のお米は、それぞれ別々です。
それを握ってひとつにします。
けれど、一粒一粒を潰してしまったら、おむすびではなくなってしまいます(笑)。
違いを残したまま、ひとつになる。
だから「おむすび」なのです。
社会も同じです。
全員が同じ意見でなければならない社会は、むしろ息苦しい社会です。
だから「全員が一丸となって」という言葉さえ、
日本語では全員が同じ価値観になるという意味ではありません。
むしろ、違うからこそ、一丸となれるのです。
違う経験、違う知識、違う感性、違う得意分野があるから、一丸となることで、新たな景色が生まれる。
一人では思いつかなかったものが生まれる。
それは、「あなたの答え」でも、「私の答え」でもありません。
一丸となったみんなから生まれた、新しい答えです。
それこそが、「結び」が持つ創造の力です。
だから、人と違うことを、怖がる必要はないし、意見が違うからといって、すぐに対立だと思わなくてもいいのです。
もちろん、違いが、関係を壊す原因になることがあるかもしれない。
けれど同時に、
それまで存在しなかったものを生み出す入口にもなるのです。
だから、「違うな」と感じたら、それは自分の中のセンサーが働いたのです。
そこからきっと、大事な何かが生まれる。
だから、大切なことは、違いをなくすことではない。
その違いを、どのようなRelationで結ぶのかにあると思うのです。
赤と青が争うなら、「どちらが正しい色か」という話になります。
けれど、赤と青が結ばれれば、そこに紫が生まれます。
人もきっと同じだと思うのです。
だから今日、誰かと意見が違ったとき。
すぐに「どちらが正しいのだろう」と考える前に、こんな問いを置いてみるのもよいかもしれません。
「この違いから、私たちは何を生み出せるだろう?」
その問いが置かれた瞬間、意見が異なる二人の「あいだ」に、
まだ誰も見たことのない未来への入口が、ひらくのかもしれません。
結びは、同じになることではありません。
違うまま、一緒に未来をつくる。
そこから、新しいものが生まれていくのかもしれません。
——今日も良い一日を♪
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