意見が違うとき、どちらが正しいかを決めようとしていませんか。しかし、違いは争いや妥協の原因であるだけでなく、まだなかった答えを生み出す可能性でもあります。大切なのは、互いの違いを消すことではなく、それぞれの考えを持ったまま、新しい未来をともにつくること。身近な家族の話から、日本語の「むすび」、自立と出口設計、そして国家のあり方まで、創造的な「結び」の意味を考えます。

今日のひとこと・結びとは、同じ答えを持つことではない。違う答えを持つ人どうしの「あいだ」に、まだなかった答えを生み出すこと。

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結びとは、同じ答えを持つことではない。違う答えを持つ人どうしの「あいだ」に、まだなかった答えを生み出すこと。

意見が違うと、なぜ困るのだろう

たとえば、家族で休日の過ごし方を相談しているとします。

お父さんは海に行きたい。
お母さんは静かな場所でゆっくりしたい。
子供は思いきり遊びたい。
このように、三人の希望がそれぞれ違ったとき、私たちはつい「誰の希望を優先するか」を考えます。

その結果、お父さんの希望を通せば、母子が我慢する。
お母さんの希望を通せば、父と子が我慢する。
子に合わせれば、大人が疲れてしまう(笑)
なんてことになります。

そこでよくあるのが、「今回はお父さん、次回はお母さん」と順番を決める(笑)。
あるあるの話です。

けれど、少し観測点を変えてみたらどうでしょう?というのが今回のお話です。

お父さんは、どうして海に行きたいの?
お母さんは、どうして静かな場所に行きたいの?
子供は、なぜ思いきり遊びたいの?

このように問うと、
 お父さんは、家族で開放的な景色を楽しみたい。
 お母さんは、日頃の疲れを癒やしたい。
 子供は、家族と一緒に楽しい経験をしたい。
などと、その理由がわかってきます。
それなら、海の近くにある広い公園で遊び、景色のよいカフェでゆっくり過ごすという選択もあるかもしれません。

これは誰か一人の答えではありません。
三人の思いの「あいだ」に生まれた、新しい答えです。

同調と妥協と結びは違う

人と人とが一緒に何かをするとき、そこには大きく三つの方法があります。
それが「同調・妥協・結び」です。

「同調」は、誰かの意見に、みんなが合わせることです。
「妥協」は、それぞれが少しずつ希望を引っ込め、折り合いをつけることです。
同調と妥協は、暮らしの中では必要な場面があります。
とくに時間や条件に制約があるとき、妥協は立派な知恵です。

けれど、もう一つの可能性があります。
それが「結び」です。

結びは、誰かの答えに合わせることでも、互いの希望を削り合うことでもありません。
それぞれの違いを持ち寄り、そこから新しいものを生み出していくことです。

音楽にたとえるなら、同じ音を一斉に鳴らすのが「同調」だとすれば、互いの音を小さくして目立たなくするのが「妥協」です。
これに対して「結び」は、違う音がそれぞれの響きを保ちながら、一つの和音になることです。
こうすることで単独にはなかった豊かさが、音と音との「あいだ」に生まれます。

人と人との関係も、これとよく似ているように思うのです。

違いは、なくすべきものではない

私たちは、意見が違うと、つい相手を説得したくなります。
自分の考えが正しい。
だから相手にも理解してもらいたいと思います。

自分の考えを伝えることは大切です。
けれど、相手にもまた、その人なりの経験があり、事情があり、大切にしているものがあります。
同じ出来事を見ても、そこから見えてくる景色は、人によって違うのです。

山を東から眺める人には、朝日を浴びた山肌が見えます。
西から眺める人には、夕日に染まる稜線が見えます。
どちらが正しいのでしょうか。
どちらも、その人の立っている場所から見た、本当の景色です。
そこで互いに「こちらの景色こそ正しい」と争えば、二人の世界は狭くなってしまいます。

けれど、「そちらからは、どう見えているの?」と尋ねたらどうでしょう。
一人では見ることのできなかった山の姿が、少しずつ立体的に見えてきます。
このとき生まれるのは、単なる情報の交換ではありません。
互いの観測点が結ばれることで、世界そのものの見え方が豊かになるのです。

こうした見方は、与党と野党とか、共和党と民主党とか、善と悪とか、神と悪魔といった二者択一の思考からは見えてきません。
それどころか昨今では、立場の違う人たちが話し合うことさえ、裏取引や馴れ合いのように疑われることがあります。
しかし、話し合うことと、不正な取引をすることは、まったく別の話です。

日本語の「むすび」が教えてくれること

日本語には「むすび」という、美しい言葉があります。
『古事記』の冒頭には、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)という神々が登場します。
この神名に含まれる「むすひ」については、古くから生成や生命を生み出す力との関係が論じられてきました。

もちろん、古代の神名と現代の「結び」を、そのまま同じ意味として扱うことはできません。
けれど、そこに新しいものが生まれ、育っていく力を見いだすことは、日本文明を考えるうえで、とても示唆的です。

結びは、いまあるものを、ただつなぎ合わせることではありません。
異なるものが出会うことで、それまで存在しなかった新しい何かを生む。
その生成の働きこそ、ここで考えたい「結び」です。

古事記の神々の物語を、こうした観測点から読み直してみると、遠い昔の神話が、いまを生きる人間関係や社会のあり方とも、つながってくるように思います。

結びには、自立が必要になる

もう一つ大切なことがあります。
「結び」は、互いの違いを消すことではない、ということです。
ここ大事です。

つまり「結び」のためには、一人ひとりが、自分の考えを持っている必要があるということだからです。
誰かに言われたから従う。
周囲と違うことを言うのが怖いから黙っている。
波風を立てたくないから、自分の思いを押し込める。
それらは結びではありません。
そのような関係では、表面上はまとまっても、新しいものは生まれにくくなるからです。

自分の意見を押し通せばよいということでもありません。
自分の考えを持ちながら、相手の考えにも耳を傾ける。
相手の意見に学び、必要なら自分の考えを改める。
ただ相手に従うのではなく、自分で選び、自分で引き受ける。

そのような自立した人どうしが出会うところに、創造的な結びが生まれます。

自立と結びは、反対のものではないのです。
むしろ、自立があるからこそ、本当の結びができるのです。

答えをそろえるより、未来をつくろう

社会には、さまざまな意見があります。
仕事の進め方から、政治姿勢、教育に対する考え方、全部違います。
経済についても、人生の幸せについても、人によって答えはまったく異なります。

その違いを、すべてなくすことはできないし、なくす必要もありません。

ただ、意見が違うからと、互いを傷つけあったり、相手の尊厳を踏みにじったりする関係では、結びは育ちません。
違いがあれば必ず新しい答えが生まれるということではないのです。

そこで必要になるのが、相手を人として尊重し、安心して意見を交わせる関係です。
安心と信頼が形成されて、はじめて、異なる考えが新しい可能性へと変わっていきます。

ここで出口設計(Exit Design)という考え方が生まれます。

「最後どうなる?」
「壊れない?」
「みんな笑える?」

そして、その三つを貫く、もう一つの問い。
「その未来に、人々の安心と、結びは残っているか。」

互いに違う答えを持っていても、これからどんな未来を一緒につくりたいのかを考えることはできます。

過去の正しさを競い合うだけでは、いつまでも勝ち負けが続くのです。
けれど、未来に目を向ければ、そこにはまだ誰も知らない答えが待っています。

だから「結び」は、全員が同じ答えを持つことではありません。
違う答えを持つ人どうしが出会い、語り合い、互いを尊重しながら、まだなかった答えを生み出していくことです。

そして、そこで生まれた答えも、完成された最後の答えではありません。
次の人が参加し、新しい観測点が加わることで、さらに豊かな未来へと育っていく。
それが、「結び」の持つ可能性です。

違うからこそ、結ぶ意味がある。
一人では見えなかった未来も、誰かと結ばれることで見えてくる。

今日、意見の違う人に出会ったら、すぐにどちらが正しいかを決める前に、少しだけ尋ねてみませんか。

「あなたには、何が見えていますか?」

その小さな問いから、まだなかった未来がきっと始まります。

——今日も良い一日を♪

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PS:おまけ

ただ対立し、互いをののしり、相手に勝つことばかりを考える。
はたして、それが世界をリードする大国の望ましい姿なのでしょうか。

選挙結果が思わしくなければ、それまで熱烈に支持していたトランプ大統領を、まるで手のひらを返したかのように非難する。
その姿を見るにつけ、残念な思いがします。

もちろん、アメリカにもさまざまな考え方の人がいます。
けれど、こうした激しい対立が繰り返されるのも、アメリカ政治の一つの現実です。

だからこそ、日本は、共和党政権であっても民主党政権であっても、相手が誰であろうと、堂々と渡り合えるだけの実力を身につけなければなりません。
それが、国家としての「自立」なのだと思います。

ただし、ここに大切なことがあります。
日本が自立しているから、他国と結べるのではありません。
他国と結び、ともに未来をつくるために、日本は自立していくのです。

相手に依存していれば、相手の顔色をうかがうしかありません。
反対に、相手を拒絶して孤立するだけなら、そこから新しい未来は生まれません。

どちらが勝とうが、日本は日本です。
自分たちの立つ場所を持ち、相手の違いを恐れず、堂々と対話する。
協力すべきところでは協力し、譲れないところでは決して譲らない。

昭和と言われるかもしれませんが、「こうと決めたらテコでも動かぬ」という芯の強さは、決して古いものではないと思います。

ただし、その強さは、相手を拒絶するためのものではありません。
自分の芯を持つからこそ、相手の違いを受け入れられる。
違いを受け入れられるからこそ、新しい結びが生まれる。

頑固さと柔軟さ。
一見、矛盾するように見えるこの二つを、ともに持つこと。

それこそが、これからの日本に求められる「自立」の姿なのではないでしょうか。
そして、その自立の先にこそ、世界の国々とともに、まだなかった未来を生み出す「結び」があるのだと思います。
このことは、個人も同じです。

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