AIが急速に進化するいま、「答えを出す力」よりも、「何を問うのか」が重要になり始めています。実は日本には、もともと「教育」という言葉はありませんでした。古来の日本人は「學問」をどのように捉えていたのか。禅問答や白隠禅師の逸話を通して、「問い」と「気づき」の本質について考えます。

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AI時代になって、あらためて「問いを発する力」の大切さが見直され始めています。
実は日本には、もともと「教育」という言葉がありませんでした。
古来の日本人は、「學問」をどのように捉えていたのでしょうか。
白隠禅師の禅問答を通して、
「それは本当に、自分で見たものなのか?」
という問いを考えてみました。
かなり深い内容になりました^^
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英語で教育を意味するエデュケーション(Education)という言葉は、もともとラテン語の「educere」が語源で、「内側から引き出す」という意味を持っています。
語源そのものが「引き出すもの」ですから、英語圏では、「教育とは、その人の内側にあるものを引き出すものだ」という感覚が、もともと強くあります。

現代日本でも、この翻訳語としての「教育」という言葉が広く使われています。
けれど実は、この「教育」という用語は、幕末の英語屋であった箕作麟祥(みつくり りんしょう)らが、英語の「Education」を翻訳する際に生み出した「造語」です。
つまり、それまでの日本には、「教育」という言葉そのものが存在していなかったのです。

では、それ以前の日本では、いまでいう「教育」のことを、何と呼んでいたのでしょうか。
それが、
「學問」です。

「學ぶ」の字は、複数の大人たちが、ひとりの子どもを引き上げている象形です。
また、「問」は、口頭で門戸を叩く象形です。

つまり、もともとの日本における「學問」とは、単に知識を詰め込むことではなく、
「問いを発する力」を育てるために、
 大人たちが子どもを引き上げていく営み
だったのです。

もっと古い時代になると、日本では「手習い」や「まねび」という言葉が使われていました。
まず基本を習い、美しく真似る。
それが学びの出発点でした。

それは単に知識や技術をコピーするという意味ではありません。
人としての姿勢、ものの感じ方、場の整え方、生き方そのものといった、
「形にならない大切なもの」を、自分の内側に移していく。
それが、日本人にとっての學びであったのです。

そして成長するに従い、今度は「とひ」を重んじるようになりました。

「とひ」は、漢字で書けば「問い」です。
けれど大和言葉は、本来、一字一音一義です。

「と」は、とどめること。
「ひ」は、ひかり。
つまり、「とひ」とは、「光をとどめること」です。

光とは、神々から与えられる智慧であり、まだ言葉になる前の感覚であり、形になる前の気づきです。
その降りてきた光を、しっかりと受け止め、自分の中で形にしていく。
それが「とひを得る」ということでした。

後年になると、この文化は、主に禅寺における「問答」という形へと受け継がれていきます。
どう生きるのか。
何を美しいと感じるのか。
どのように人と向き合うのか。
そうしたことを、自ら問い続ける。

禅問答とは、師が弟子に答えを教えるものではありません。
問いを通して、その人の内側から「気づき」を立ち上がらせるものです。

その象徴的な話があります。

臨済宗中興の祖である白隠慧鶴(はくいん えかく)禅師が、まだ若い頃のことです。
当時の白隠禅師は、自分は悟りを得たと思い込み、各地の禅寺で論争を挑んでは、並み居る禅僧たちを言い負かしていました。
若くて、頭も良く、弁も立った。
だから自信満々だったのです。

ところが、当時の最高峰と呼ばれた道鏡慧端(どうきょう えたん)老師を訪ねたときのこと。
何を問うても、老師は背を向けたまま、答えない。

腹を立てた白隠禅師が、「喝っ!」と大喝を放ったのですが、
老師は振り向きもせず、一言、ただこう問いました。

「それはお前が学んで得たものか?
 自分で見たものか?」

白隠禅師は、自信満々に、
「もちろん、自分で見たものです」
と答えました。
すると老師は、たった一言。

「ならば吐き出せ」

つまり老師は、「本当に自分で見たものなら、自分自身の言葉として語れるはずだ」と言っているのです。
ただ学んだだけの知識なら、なぞることはできます。
けれど、本当に自分で見たものでなければ、その人自身の言葉にはならない!

白隠禅師は、若く、常に論争に勝ち続けてきました。
けれど、その得意の絶頂で訪問したときに、老師は、
「お前の学問など、ただの上っ面だ。
 お前自身には何の真実もないではないか」
と、鼻っ柱をへし折ったのです。

そしてこの後、老師は白隠禅師を寺に置き、白隠禅師を無視し、怒鳴り、厳しく追い込んでいきました。
すでに学はなっているのですから、講義になんて呼ぶ必要はないのです。

それよりも、鼻高になっていた白隠を精神的に追い込んで行きました。
必ず立ち上がれる男と見ぬいたからこそ、老師は白隠禅師に厳しくしたのです。
そして追い詰められた白隠禅師は、ここで、
「自分は自分だけで生きているのではない。
 常に周囲との関係の中で生かされているのだ」

と気付くのです。

老師は、これに白隠禅師が気付いたことを、何も語らずひと目で見抜きました。
そして老師は、次のようにひとこと。
「汝、徹せり!」

人は生まれたときに、実は今生で必要なものを、全部持って生まれてきているのだと言われています。
生きているのではなく、生かされている。
そして生きているすべてのものは、奥底でつながっている。

白隠禅師は頭が良くてできの良い学僧でした。
だから自分一人が突出して、「成った」気になっていました。

けれど、何もかもがつながっているのだ。
オレひとりだけではないのだ。
彼はこのときはじめて、本当の気付きを得たのです。

この問答は、現代のAI時代にも、そのまま当てはまるように思います。

AIは、文章を作ってくれます。
要約もしてくれます。
知識も整理してくれます。

けれど、
「それは本当に、自分で見たものなのか?」
という問いだけは、最後まで残ります。

つまり、AI時代になるほど、「知識を持っていること」よりも、「自分自身の問いを持っていること」のほうが重要になっていくのです。

最近、AIの進化が、ものすごい勢いで進んでいます。
文章を書く。
絵を描く。
翻訳をする。
要約をする。
プログラムを書く。
少し前までは「専門家にしかできない」と思われていたことが、いまや誰でも扱える時代になっています。

けれど、その一方で、とても大きな変化が起きています。

それは、
「答えを出す力」の価値が下がり、
「問いを発する力」の価値が上がってきている、
ということです。

我が国では、明治5年(1872年)に西洋型学校制度が導入され、「正解に早くたどり着く能力」が重視されるようになりました。
知識を覚え、問題を素早く解く、効率よく処理する。
それらは日本の近代化に、必要なことであったといえます。

けれど、いまやAIは、知識量でも、処理速度でも、人間を上回るようになっています。
こうなると、人間に残される本質的な役割は、「覚えること」や「素早く答えること」ではななります。
「何を問うのか」へと移っていくのです。

つまり、もともと日本にあった「學問」の感覚が、もう一度重要になってきているのです。
なぜなら、知識そのものは、AIがいくらでも提示してくれるからです。

けれど、
「なぜ、それを知りたいのか」
「その答えを、どこへつなげたいのか」
それは、その人自身にしか生み出せません。

たとえば、AIに何かを尋ねる前に、
「自分はなぜ、それを問いたいのだろう」
「その答えを通して、何を整えたいのだろう」
と、一度立ち止まってみる。

すると、不思議なことに、「問い」そのものが変わってきます。
そして、その問いは、その人がどのように生き、何を感じ、何を大切にしてきたかによって生まれてきます。

だから本当に大切なのは、単に多くを知ることではありません。
自分の内側にある光を、きちんと受け取り、形にしていくことです。

古代の日本人は、それを「とひ」と呼びました。
大和言葉は、一字一音一義です。
「と」は、とどめること。
「ひ」は、光です。
つまり、
「とひ」とは、光をとどめることと、古来そのように解されてきたのです。

AI時代は、人がもう一度、自分の内側にある光を見つめ直す時代なのかもしれません。
教育もまた、
「何を教えるか」ではなく、
「どんな問いを育てるか」へと、
あらためて見直す時代に来ているのかもしれません。

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