中学二年の頃、校長先生が代わりました。前任の校長は威厳のある大物校長。ところが新しく来た校長先生は、見た目も地味で、先生方からも「あれじゃダメだ」と言われるような人でした。
けれど、その校長先生は、毎日ひとりで校庭の石を拾っていました。誰にも命令せず、誰にも見せびらかさず、ただ黙って続けていました。その姿が、やがて学校全体の空気を変えていったのです。

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今回は、個人的な体験談をお話します。
中学二年のときのことです。
校長先生が代わりました。

前任の校長先生は、市内でも有名な大物校長だった人で、見るからに貫禄がありました。
先生方からもたいへんに慕われていたと、当時の担任の先生も言っていました。

ところが、新しく赴任してきた校長先生は、正直、まったくそんな感じではありませんでした。
見た目、地味でした。威厳もありません。
事の是非はともかく、担任の先生も、「ありゃダメだ」と、生徒の前で公然とそう言っていたくらいです。

ところが、その貫禄のない校長先生が赴任してしばらくした頃のことです。
授業中、ふと窓の外を見ると、その校長先生が、ひとりで広い運動場の小石を拾っていました。
最初は、何をしているのだろう、くらいにしか思いませんでした。
ところが、その姿は、雨の日も変わらず、毎日続けられました。

校長ともなれば、きっと忙しいはずです。
それなのに、誰に言われたわけでもなく、黙々と石を拾っている。

当時の校庭は、まだ土のグランドでした。
転ぶと、小石で膝や手を怪我することも珍しくありませんでした。

そのうち、誰に言われるともなく、休み時間に、ぽつりぽつりと石を拾う生徒が現れました。
私も拾いました。

するとどうでしょう。
いつの間にか、全校朝礼のあとに、生徒たちみんなで1〜2分、石拾いをするようになったのです。

命令されたわけではありません。
強制されたわけでもありません。

ただ、校長先生が、毎日、黙って続けていた。

それだけです。
そして、一学期が終わる頃には、グランドの小石は、ほとんどなくなっていました。

実は当時の私は、あまり出来の良くない生徒でした。
どちらかというと不良でした。
授業をサボって校舎裏で煙草を吸い(内緒です)、
渡り廊下の壁を拳で殴って、穴を空けたりしていました。

ある日のこと。
全校朝礼で、渡り廊下の穴の話が校長先生の口から出ました。
「きっと、腹の立った人がやったのだと思います」

そう言ったあと、校長が続けました。
「たったひとつのその穴が、みんなの心に与える影響を考えてほしい」

正直、猛烈に恥ずかしくなりました。
犯人として吊し上げられたわけではありません。
怒鳴られたわけでもありません。
けれど、その言葉が刺さりました。

もう、60年近くも昔の話です。
ただ、そのとき初めて、「悪いことをして叱られる」とは別の形で、
「自分の行為が場に与える影響」を知らしめられた瞬間だったのだと思います。

もしあの校長先生が、
「犯人を出せ!」
「器物損壊だ!」
「不良を取り締まれ!」
という方向へ行っていたら、たぶん、子供の頃の私は反発したのだろうと思います。

けれど、その校長先生は、穴を空けた「個人」ではなく、
「その穴が、みんなの心に与える影響」を語りました。
つまり、善悪や処罰ではなく、「場」を語られたのです。

だから、逃げ場がなくなりました。
下を向いて赤面するしかなかった。

しかも、その校長先生の言葉に力があったのは、
その校長先生自身が、毎日ひとりで石を拾っていたから。
もし口先だけだったら、たぶん響かなかったのだろうと思います。

いま思えば、あの校長先生は、「人を従わせよう」としていたのではなく、
「場を整えよう」とされていたのだと思います。

だから、石を拾った。
誰も見ていなくても、誰にも褒められなくても。
その姿勢が、少しずつ周囲に伝わり、気がつけば、生徒たちの行動まで変わっていた。

姿勢というものは、案外、そういうものなのかもしれません。
見せるためのものではありません。
誰にも見られていないときに、自然に出るものなのだと思います。

そして、その積み重ねが、やがて場の空気を変えていく。

私は、あの校長先生から、それを教わったのだと思っています。

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