戦前・戦中の教育というと、「軍国主義教育」という言葉で語られることが少なくありません。けれど、当時の国定教科書を実際に開いてみると、そこには親子の情愛や、人と人との結び、そして人として何を大切にして生きるべきかを問う物語が数多く掲載されています。
今回ご紹介する「万寿姫」も、そのひとつです。母を救うために木曽から鎌倉へ向かった十三歳の少女。その孝心に心を動かされた源頼朝。そして、その物語を小学四年生の子供たちに学ばせた当時の教育。
そこには、現代人が忘れかけている「おもふ」という力が描かれています。

22060612 万寿姫が教えてくれるもの

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1 現代人が失いつつある視点

戦前・戦中の教育というと、現代では「軍国主義教育」という言葉で語られることが少なくありません。
けれど実際に当時の国定教科書を開いてみると、そこに書かれている内容は、私たちが想像するものとは、かなり異なっています。

今回ご紹介する「万寿姫(まんじゅひめ)」の物語も、そのひとつです。

この物語は、源頼朝の時代を舞台に、母を救うために木曽から鎌倉まで旅をした十三歳の少女の物語です。
そこに描かれているのは、戦いでもなく、国家への忠誠でもありません。
親子の情愛であり、人と人との絆であり、そして人として何を大切にして生きるべきかという問いです。

私は常々、「出口設計(Exit Design)」が大事だとお話しています。
どうすれば勝てるか、成功するか、儲かるのかといった入口ばかりを考えるのではなく、
その先にどのような社会をつくりたいのか、どのような人間関係を築きたいのかを考えることが大切だという考え方です。

実は、この万寿姫の物語にも、そうした日本人の出口思想が色濃く描かれています。
なぜ頼朝は、将軍暗殺未遂犯を赦したのか。
なぜ人々は、その裁定に涙したのか。
なぜこの物語が、戦時中の小学四年生の国語教科書に掲載されていたのか。

そこには、現代の私たちが忘れかけている、大切な日本人の心が描かれています。
まずは、その物語をご紹介したいと思います。

2 国定教科書「万寿姫」

では、戦時中の国民学校4年生《いまの小学4年生》の国語の国定教科書に書かれていた「万寿姫」の物語を、そのままご紹介します。

 ***

ある日源頼朝は、鶴岡八幡宮に舞の奉納をするために、舞姫を集めました。
舞う少女は12名いました。
推薦もあって11人まではすぐに決まったのですが、あとひとりが決まりません。

困っているところへ、御殿に仕える万寿姫(まんじゅひめ)がよかろうと申し出た者がありました。
頼朝は一目見た上でと、万寿姫を呼び出しました。
見目(みめ)麗(うるわ)しく実に上品(じょうひん)な娘です。
さっそく舞姫に決めましたが、万寿は当年13歳、舞姫の中で、いちばん年若でした。

奉納当日、頼朝を始め舞見物の人々が、何千人も集まりました。
一番、二番、三番と、十二番の舞がめでたく済みました。
なかでも特に人がほめたのが五番目の舞でした。
この時は、頼朝もおもしろくなって一緒に舞いました。
その五番目の舞が万寿姫でした。

明(あ)くる日、頼朝は万寿を呼び出しました。
「さてさて、このたびの舞は日本一のできであった。
 お前の国はどこだ?
 また親の名は何と申す?
 褒美(ほうび)は望みにまかせて取らせよう」

万寿は恐る恐る答えました。
「望みはございませんが、唐糸(からいと)の身代りに立ちとうございます」

これを聞いた頼朝は、顔色がさっと変わりました。
深い事情があったからです。

一年ばかり前のこと、木曾義仲(きそよしなか)の家来の手塚太郎光盛(てづかのたろうみつもり)の娘が、頼朝(よりとも)に仕(つか)えていたのですが、頼朝が義仲を攻めようとするのを知って、義仲にその情報を知らせたのです。
義仲の動きは早く、
「すきをねらって頼朝の命を取れ!」
と、木曽義仲の家に代々伝わっていた大切な刀を送ってよこしたのです。

光盛の娘は、それから毎晩頼朝を狙いました。
けれど少しもすきがありません。
かえってはだ身はなさず持っていた刀を見つけられてしまいました。
刀に見おぼえがあった頼朝は、この女は油断できないと思い、女を石の牢屋(ろうや)に入れました。
その女が唐糸でした。

唐糸には、その時12歳になる娘がいました。
それが万寿姫だったのです。

姫は木曾(きそ)に住んでいました。
風のたよりに事件を聞き、乳母(うば)を連れて鎌倉を目指したのです。
二人は、野を過ぎ山を越え、馴れない道を一月余りも歩き続けて、ようやく鎌倉に着きました。
そしてまず、鶴岡(つるがおか)の八幡宮(はちまんぐう)へ参(まい)って、母の命をお助けくださいと祈り、それから頼朝の御殿へあがって、乳母と二人でお仕えしたいと願い出ていたのです。
かげひなたなく働く上に、人の仕事まで引き受けるようにしていたので、万寿、万寿と人々に可愛がられていました。

さて万寿は、だれか母の噂をする者はないかと、気をつけていたのですが、10日経っても、20日経っても母の名を言う者はありません。
ああ、母はもうこの世の人ではないのかと、力を落していたところだったのです。

ところがある日、万寿が御殿の裏へ出て、何の気もなくあたりを眺めていますと、小さな門がありました。
そこへ召使の女が来て、
「あの門の中へ入ってはなりません」と言いました。

わけを尋ねると、
「あの中には石の牢屋があって、唐糸様が押し込められています」といいました。
これを聞いた万寿のおどろきと喜びは、どんなであったことでしょう。

それからまもなくのある日のこと、今日はお花見というので、御殿には多勢の御家人たちが集まりました。
万寿は、その夜ひそかに、乳母を連れて、石の牢屋をたずねました。
八幡樣のお引合わせか、門の戸は細めに開いていました。
万寿は、乳母を門のわきに立たせておいて中へはいりました。

月の光に透かして、あちらこちら探しますと、松林の中に石の牢屋がありました。
万寿が駆け寄って牢屋の扉に手を掛けますと、
「たれか?」と牢の中から声がしました。

万寿は、格子(こうし)の間から手を入れ、
「おなつかしや、母上樣、木曾の万寿でございます。」

「なに、万寿。木曾の万寿か!」

親子は手を取りあつて泣きました。
やがて乳母も呼んで、三人はその夜を涙のうちに明かしました。

これからのち、万寿は乳母と心を合わせ、折々に石の牢屋を尋ねては、母をなぐさめていたのです。
そうして、そのあくる年の春、舞姫に出ることになったのでした。

親を思う孝行の心に頼朝も感心し、唐糸を石の牢から出してやりました。
二人が互いに取りすがって、うれし泣きに泣いた時には、頼朝を始め居あわせた者たちに、だれ一人、もらい泣きをしない者はありませんでした。

頼朝は、唐糸を赦(ゆる)した上に、万寿に、たくさんの褒美を与えました。
親子は、乳母といつしよに、喜(よろこ)び勇(いさ)んで木曾へ帰りました。

 ***

さて、この物語は何を伝えようとしているのでしょうか。

3 出口設計

戦前・戦中の教育というと、「軍国主義教育」という言葉で語られることがあります。
しかし、少なくともこの物語を読む限り、そこに描かれているのは軍事でも戦争でもありません。

描かれているのは、親子の情愛です。
母を助けたいと願う娘の心。
娘を想う母の心。
その姿に涙する人々の心。
そこには、人として大切なものは何かという問いがあります。

近年では、やたらと「愛」という言葉が語られます。
けれど、「愛とは何ですか」と問われて、即答できる人は案外少ないものです。

ところが戦前の教育を受けた人たちは、これに即答しました。

「愛とは、おもふことだよ」

なぜなら、かつての日本人は、日本書紀を国史として学び、「愛国」と書いて「国をおもふ」と読むことを教わっていたからです。
親をおもふ。子をおもふ。故郷をおもふ。国をおもふ。

そこに、支配も強制もありません。
ただ、相手を大切におもふ心があります。
そして、その「おもふ心」が、人と人との結びを生みます。

私は近年、「結び」ということを大切に考えています。
人はひとりでは生きられません。
一本の糸だけでは弱くても、糸が寄り集まれば紐になります。紐が寄り集まれば綱になります。
だから人と人とを結ぶことを、昔の日本人は「結ひ(ゆひ)」と云いました。

万寿姫の物語もまた、その結びそのものです。
母をおもふ万寿。
その万寿を支える乳母。
万寿を可愛がる人々。
その心に動かされる頼朝。
人と人との心が結ばれていくからこそ、最後に皆が涙する物語になるのです。

ここで私は、いつもお話している出口設計(Exit Design)を思います。

現代社会では、
どうすれば勝てるか、成功するか、儲かるかといった入口ばかりが語られがちです。

けれど、日本人が昔から大切にしてきたものは、その先にあります。
・最後、どうなる?
・壊れない?
・みんな笑える?

万寿姫の物語で頼朝が見たものも、まさにそこにあります。
法だけを見れば、唐糸は重罪人です。

けれど頼朝は、その背後にある親子の情愛を見ました。
そこに、人と人との結びを見たのです。
そして、その先にある未来を見ました。
だから赦したのです。

もちろん法は大切です。
けれど法は、人がつくったものです。
その法をどう運用するのか。
その先に、どのような社会をつくりたいのか。
そこまで考えることが、本来の政治であり、本来の教育であり、本来の法の目的です。
これが「出口設計(Exit Design)」です。

4 万寿姫が問いかけるもの

それにしても「万寿姫」は、あらためて考えてみると、不思議な物語です。

母の唐糸は、木曽から鎌倉まで旅をしています。
そして娘の万寿姫もまた、乳母と二人だけで木曽から鎌倉へと向かっています。

時代は源平争乱の時代です。
各地に敗残兵が潜み、戦乱の傷跡が残る、決して平穏とはいえない時代です。
にもかかわらず、ひとりの女性が、そして十三歳の少女が、長い旅をすることができた。
これは世界史的に見ても、決して当たり前のことではありません。

では、なぜそのようなことが可能だったのでしょうか。
もちろん法もあったでしょう。
けれど、人は法だけで行動するわけではないのです。

警察官が見ているから悪いことをしない。
罰則があるからルールを守る。
それだけで社会が成り立つなら、監視を強めれば強めるほど良い社会になるはずです。

けれど現実はそうではありません。

人と人との信頼や、困っている人を見たら助けようという気持ち、
親を大切に思う心、子を思いやる心。
そうした目に見えないものが積み重なることで、現実の社会は成り立っています。

そして、そうした目に見えないものこそが、日本の治安の良さを支えてきたのです。
だから、かつての日本では、そのことを学校で教えたのです。

知識だけでなく、人としてどう生きるのか。
技術だけでなく、人をどう思うのか。
勝ち方だけでなく、どのような世の中をつくりたいのか。
それが、教育の、大切な役割だったのです。

もちろん時代は変わります。
昔の教育をそのまま復活させれば良いというものではありません。
けれど、何を伝えるべきかという問いは、いつの時代にも変わりません。

私たちは、子供たちに何を手渡そうとしているのでしょうか。
知識でしょうか。
技術でしょうか。
それとも、人をおもふ心でしょうか。

万寿姫の物語は、過去の物語ではありません。
人と人との結びを、私たちはこれからも大切にできるのか。

それが、いま私たち自身に問われているのです。

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