未来は誰にも予測できません。大切なことは、「未来を当てること」ではなく、「最後にどんな未来を残したいのか」という出口を持つことです。徳川家康は、壮大な未来図を語った人物ではありませんでした。その代わり、どんな状況でも、その瞬間にできる最善を積み重ね続けました。家康の生き方を「出口設計」という視点から読み直すと、現代を生きる私たちにも通じる、新しい判断の基準が見えてきます。

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以下は、foomiiに書いた記事です。
https://foomii.com/00333/20260707100749154931
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いまや世界有数の大富豪となったビル・ゲイツ氏の総資産は、およそ8兆円ともいわれています。
たいしたものです。
ところが、日本には、その百倍もの資産を築いた人物がいました。
徳川家康です。
家康の資産は、現在の価値に換算すると、およそ800兆円。
もちろん単純な比較はできませんが、それほどまでに巨大な財と国力を築いた人物だったということです。
しかし、家康の本当の偉さは、財産の大きさではありません。
その莫大な財を、自分のものとは考えていなかったことです。
家臣のため、国のため、そして天下のため。
家康にとって財とは、自分が所有するものではなく、世を治め、人々を守るための責任だったのです。
私は、この家康の生き方こそ、出口設計そのものだと思っています。
出口設計とは、未来を予測することではありません。
最後にどのような社会を残したいのかという「出口」を見据え、そのために、いま何を選ぶかを考えることです。
だから出口設計では、
「十年後はこうなる」
という未来図は描きません。
その代わり、
「最後に人々が笑顔で暮らせる社会を残したい」
という出口を持ちます。
家康の生涯は、まさにその繰り返しでした。
家康を主人公にした小説は数え切れないほどあります。
権力欲に燃える老人として描かれることもあれば、稀代の英雄として描かれることもあります。
もちろん、小説ですから、それはそれで面白い。
けれど、それらの多くは、最初に「こういう家康であってほしい」という人物像を決め、その人物像に合わせて史実を組み立てています。
私は、この考え方を「入口設計」と呼んでいます。
入口で結論を決めてしまえば、現実は、その結論を説明する材料になってしまいます。
ところが現実の家康は、そうした人物ではありませんでした。
家康は、未来の理想像を語る人でもありません。
欲望を追い続ける人でもありません。
その時々の現実を受け止め、その瞬間にできる最善を積み重ね続けた人といえます。
そして、その積み重ねが、振り返れば家康を天下人にしています。
ここに、大きな違いがあります。
◯ 未来を決めて現実をそこへ押し込もうとするのか。
◯ 最後に残したい出口だけを見据えながら、その都度、現実の中で最善を選び続けるのか。
家康が選んだのは、後者です。
つい半世紀前の学生運動華やかりしころは、共産主義が目指す未来のユートピアが理想とされました。
そこに向かう人が進歩的、そうでない人は守旧派のバカとさえ言われました。
昨今では、SDGsやウェルビーイングなど、さまざまな理想が語られるようになりました。
しかし理想を入口にして、現実を理想に押し込めようとすると、多くの場合、その理想は虚像へと変わっていきます。
なぜならそれらは出口設計とは真逆の発想だからです。
結果、それらの発想は、ひとつの時代の流行に放っても、多くの場合、ただの「人を騙し」に終わります。
会社の経営計画も、莫大なコストをかけてつくられるけれど、そのとおりになった試しはめったにありません。
世界的感染症の発生ひとつで、世界中の企業が計画がまるごと頓挫したのも、記憶に新しいところです。
環境は常に変化します。
家康は、その変化のなかで、おかしな未来図など描かず、ただ、誰もが笑顔で安心して暮らせる未来を求めながら、その瞬間瞬間に、家臣たちにとって、家臣の家族たちにとって、国にとって、天下にとっての最善を尽くし続けたのです。
そうすることで気がつけば、ビル・ゲイツの100倍という破格の資産を築くに至ったのです。
理想や計画を否定しているのではありません。
ただ、計画ばかりを優先するあまり現実を見失えば、そこに残るのは悲惨の二字だ、ということを申し上げています。
共産主義のユートピアという夢物語のために、どれだけ多くの人命が失われたか。
結果からいえば、理想は大量虐殺を正当化する言い訳でしかなかったともいえます。
上古の日本は、世界中の国々から、扶桑の国、蓬莱山などと呼ばれ、理想の国とされました。
だから唐から日本へ渡り、帰化した人の数は、日本から唐へ渡った人の数をはるかに上回ります。
けれど住んでみれば、天然の災害もあるし、人間関係は濃密でしがらみだらけです。
♫天国良いとこ、一度はおいで
酒は旨いし、ねえちゃんは綺麗だ
なんていう歌が昔ありましたが、なるほど天国は平和で豊かでねえちゃんも綺麗かもしれないけれど、リアルに複数の女性と付き合えば、ドロドロの地獄絵図が待っているだけです。
それなら、乱世の中に咲く一輪の花のような恋のほうが、はるかに熱く燃える情熱を得られるかもしれません。
ここに、出口設計のもうひとつの姿があります。
今度は国家という大きな話ではなく、ひとりの人間の、絶対的な正解が存在しない状況における選択です。
家康が最初に結婚した相手は、今川家ゆかりの瀬名姫、後の築山御前です。
家柄もよく、聡明で、たいへんな美人で、家康への愛も人一倍のものがありました。
けれど家康が武田信玄と敵対する中、築山御前は夫を愛するあまり、なんとか夫の命を助けようとして武田方に通じてしまいます。
結果、家康は愛する妻を斬首にしました。
そうする他なかったからです。
その場所は、いまも御前谷として名を遺します。
けれど家康は、晩年になっても、
「あのとき築山殿を、女なのだから尼にして逃してやればよかった。
命まで奪うことはなかった」
と、ずっと悔やんでいたと伝えられています。
理想をいえば、家康は妻を助ける道を選ぶべきだったのかもしれません。
けれど武田との対立という現実のなかで、家中の安全と妻の命の両方を守れる出口は存在しませんでした。
家康が選んだのは、理想ではなく、その瞬間に選べる現実の出口です。
家康は、政治家としては正しい判断をしたのでしょう。
けれど、人間としては、その判断をした自分を生涯許すことができなかった。
だから晩年になっても、
「尼にして逃がしてやればよかった」
と思い続けていたのです。
もし家康が、自分の判断を「正しかった」の一言で片付ける人であったなら、この後悔は残らなかったでしょう。
しかし家康は違いました。
政治の正しさと、人としての痛みは別のものだということを、生涯忘れなかったのです。
実際、家康はその後、正妻を迎えていません。
迎えたのは側室ばかりで、しかも身分の高い女性や美人は決して側女にしませんでした。
家康に仕える女性には聡明な人も美しい人もたくさんいましたが、
家康は「美女を側女にすれば瀬名が悲しむ」と、
生涯、死んだ築山御前がヤキモチしない程度の女性関係に終始しています。
家康は源氏の棟梁です。
家が第一とされた時代にあって、家を安泰化させるためには子が必要でした。
全国から「是非とも子を」と多くの美しい女性が献上される中、家康は自分から進んで魅力的な女性に手を出すことをしていません。
周囲から見れば、農家の地味な後家さんとの間に子をもうけています。
理由は同じです。魅力的な女性と関係すれば、瀬名が悲しむからです。
これもまた、出口設計です。
政治の場では非情な決断を迫られることがある。
けれど、だからこそ非情な世にあってなお、人として正しくあろうとする。
それが家康の選び続けた出口でした。
だからこそ家臣たちは、そんな家康のために最大を尽くそうと決意したし、天海僧正のような人物も寄り添ったのです。
残念なことに、いまも家康を描く作品の多くは、築山御前を毒婦としてしか描きません。
これは、人間の選択の重さを、理想の物語に押し込めて片づけているだけのように思えます。
人の愛は、片方を毒婦として描けば済むような軽いものではありません。
いま日本は大きく変わろうとする時代を迎えています。
けれどその変化は、ユートピアのような幻想によって得られるものではありません。
理想の未来像を先に描いて、そこへ現実を合わせようとする発想は、家康の時代も、いまの時代も、結局は虚像に終わります。
いま、このときに、日本にとって、日本人にとって必要な出口を、現実のなかで選び続ける。その積み重ねの上にこそ、良い未来が築かれるのだと思います。
出口設計というのは、未来を設計する計画図を書くことではありません。
出口から現在の選択を決めることです。
この違いは、とても大きなものです。
つまり出口設計は、未来を作る思想ではなく、今日の判断に基準を与える物差しなのです。
倭塾は、歴史と未来を結び、最後にみんなが笑える出口のある世の中を共につくろうとしています。
その出口設計は、たった3つ。
最後どうなる?
壊れない?
みんな笑える?
子供にもわかるほど単純なことです。
だからこそ、人類は何千年も、それを学び続けているのかもしれません。

