AIが人類を超える――。いわゆる「シンギュラリティ」が語られるたびに、多くの人は不安を覚えます。けれど、その不安は、「知性とは計算能力である」という、ある前提の上に成り立っています。もし知性が、計算だけではなく、関係を結ぶ力や、未来の物語を描く力を含むのだとしたらどうでしょうか。武士道における「抜かざる刀」の智慧を手がかりに、AI時代における新しい知性観と、次の文明の姿を考えてみたいと思います。

人類が開く新しい扉

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AIが人類を超える!それがシンギュラリティだ!という話をよく聞きます。
それで不安を感じる人も多いかと思います。

なにしろ、AIが人間より賢くなって、人類はその制御ができなくなり、AIによって人類が支配というわけです。
もしそれが本当なら、なるほど恐ろしい。

だけど、この議論は、ひとつの大きな前提を持っています。
それが、
「知性とは、計算能力のことだ」という、
あまりにもお粗末な前提です。

要するに、どれだけ速く計算できるか、どれだけたくさん記憶できるか、どれだけ正確に情報処理できるかだけが、知性だ、というわけです。
なるほど知性が本当にそれだけのものなら、AIは、すでに人類を超えています。
だけど、「正気ですか?、本気で言っているのですか?」と問いたいのです。

たとえば人類史を振り返ると、産業革命以前の世界では、身体能力が大きな価値を持っていました。
より速く走れる者、より重いものを運べる者、より強い力を持つ者が優位に立ちました。
これは、いわば「PQ(Physical Strength Quotient=体力勝負)」です。

ところが産業革命によって、機械が人間の身体能力を超えました。
つまり、人間は機械に負けました。
で、人類は滅んだのでしょうか?

実際に起きたことは、産業革命によって飛躍的に生産能力があがって、人々の生活が豊かになり、文明は崩壊するどころか、より知的なものへとシフトしていきました。
つまり、勝負の対象が「PQ」から、「IQ( Intelligence Quotient=知能勝負)」へとシフトしたわけです。

このことが意味していることは重要です。
なぜならある能力が豊富になると、文明は崩れるのではなく、
別の「希少な能力」に「価値を移す」ということだからです。
いま起きようとしていることは、その「IQ( Intelligence Quotient=知能勝負)」の時代が終わろうとしている、ということです。

では「IQ」後の時代に価値を持つものは何でしょうか。
ここが問題です。
まさにそれこそが、シンギュラリティ問題だからです。

ここで重要な示唆を与えてくれるのが日本の武士道です。
武士にとって刀は、人斬り包丁ではありません。
抜けるけど抜かないのが武士の心得です。
もちろん、ただ刀を抜けないなら、それは単なる無力です。
大切なことは、抜ける者が、なお抜かないこと。
そこに品格があります。

つまり武士道が重視したのは、力を持つことではなく、「力を制する」ことです。

そして「制する」ためには、二つの能力が必要です。
ひとつは、相手や場の空気、関係性を感じ取る力。
もうひとつは、自分の行為が未来にどんな物語を書くかを見通す力です。

現代風に言えば、それは

RQ(Relationship Quotient)=関係性知性
NQ(Narrative Quotient)=物語知性

です。
RQは、共感し、信頼し、深く結び合う力。
NQは、意味を生み、物語を共有し、未来を共創する力です。

いくらIQが高くても、その人に共感性、信頼性(RQ)がなければ、あまりお友達になりたくない(笑)
いくら、IQだけでなくRQも高くても、物語を共有できないなら、やはり友達にはなれません。
早い話、頭の良くて多くの人から支持を得た議員さんでさえも、目指す物語の方向がまったく違えば、互いの良好な信頼関係は築くことができません。

以上を要約すると、文明は、

PQ(体力勝負) → IQ(知識勝負) の時代から、
RQ(共感性)+NQ(共創性)へと移っていくと考えられるのです。

そして、その文明を考えるときに重要になるのが「出口設計(Exit Design)」です。
出口設計が問うのは、とてもシンプルです。
・最後にどうなるのか。
・関係性が壊れないか。
・みんなが笑顔になれるか。
この3つだけです。

つまり、その仕組みが、最後に人々を分断するのか。それとも調和へ導くのか。
依存を生むのか、それとも人を豊かに開花させるのか。
これが出口を見据えた文明設計です。

だから私は、シンギュラリティの意味をこう定義し直したいと思うのです。

「シンギュラリティとは、AIが人類を超える瞬間ではない。
 シンギュラリティとは、人類が知性の意味を書き換える瞬間である。」

本当に問うべきことは、「AIが人間より賢くなるか?」ではありません。
問うべきことは、

人類は、知性の本質を理解できるほど賢くなれるのか。

にあります。

文明の未来を決めるのは、どれだけ高度な知能を作れるかではありません。
その知性を使って、
最後にみんなが笑顔になれる未来を設計できるかどうかにかかっています。

 *

と、以上が英語版ブログ(https://bushido.hjrc.jp/915-2/)に書いた論考の要旨です。

もっというなら、PQやIQの時代には、たくさん持っていることが社会的地位を向上させ、豊かさをもたらすものでした。
けれど、RQやNQの時代は共有の時代ですから、個人でたくさん持っていることは意味を持たなくなります。

これは昔の御講の考え方と同じです。
みんなで得た財は、みんなで蓄え、みんなで使う。
その分配をする人は、欲ボケジジイであってはなりません。
みんなのことを思い(RQ)、みんなの未来のために、わけへだてなくみんなと分かち合える(NQ)人が、社会を担う。

仮にもし、銀河連邦というものがあったとします(笑)。
地球を銀河連邦に仲間入りさせるかどうかの判断は、
これまで通り、人類が個人的利益や所有することによる支配の世界にあるのか、
それとも、互いにわかちあい、同じ平和の物語を紡ぐことができる存在なのか
にあるのではないでしょうか。

みなさん、いかがでしょう。
みなさんがもし、銀河連邦の総裁なら、前者のような欲張りを銀河連邦に加盟させますか?

いま文明は、新たな扉を開けようとしているのです。

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