私たちは毎日、小さな選択を積み重ねながら生きています。その一つひとつは些細なことに見えても、「最後にどんな景色をつくりたいのか」という出口を心に置けば、今日の選択の意味は変わります。未来を思い描き、その未来へ向けて、目の前のことを丁寧に積み重ねていく。今回は、そんな「出口設計(Exit Design)」と、日本人が大切にしてきた生き方について考えます。

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出口を思うと、今日の選択に意味が生まれる。
私たちは毎日、たくさんの選択をしながら生きています。
何を食べるか、誰に会うか、何を話すか、何をするか、そして、何をしないか。
一つひとつは、とても小さなことかもです。
けれど、その選択の先にある「出口」を思い描くと、同じ選択が、まったく別な意味を持ちはじめます。
たとえば、子どもに注意をするとき。
目の前の行動をやめさせることだけが目的なら、「ダメ!」と叱れば、それで済むかもしれません。
けれど、その子が十年後、二十年後に、自分で考え、自分で選び、自分の人生を歩いていける人になってほしいと思ったら、かける言葉が少し変わってくるかもしれません。
仕事も同じです。
明日がどうなるかなんて知ったこっちゃねえ。今日の売上が、今月の売上だけが大事なんだ!と徹すれば、少々強引でも、それなりの成果は出ることでしょう。
けれど、五年後、十年後にもお客様から信頼され、働く人も取引先も笑顔でいられるビジネスを出口に置けば、「今日、何をするか」の判断基準そのものが変わります。
国や社会も同じです。
いま困っている問題を、「とりあえず」処理する。
目の前の不満を、「とりあえず」解消する。
近年は、そんな姿勢が目立ちます。
これを「ケンチャナヨー精神」というのだそうです。
日本語にしたら、「大丈夫、大丈夫。問題ないよ。テキトーでOK、OK」と、いい加減に済ませることです。
なるほど、いまだけなら、それで良いのかもしれません。
けれど、その結果、十年後、五十年後、百年後の人たちが困ることになるのなら、
それは本当に「良い選択」といえるのか。
本来の日本的精神というものは、より良い出口をしっかりと見据えながら、今日の一歩一歩を、きちんと積み上げていくことではないのか。
それは一見すると、損な選択かもしれません。
面倒くさいことに思えるかもしれません。
物事は、丁寧にやろうとすればするほど、次々と問題が山積みになるものです。
しなくてもいい苦労まで背負い込むことにもなります。
けれど、それでも「きちんとしていこう」としてきたのが、日本古来の文化です。
武士も農民も職人も商人も、社会のあらゆる場において、誰もが丁寧に物事を進めようとしてきました。
だからこそ、そこから余白を大切にする文化も生まれたし、それぞれが「道」となっていったのです。
出口を考えるというのは、未来を予言することではありません。
「最後に、どうなっていたいのか」
という景色を心に置くことです。
家族が笑っている。
仲間がよろこんでいる。
次の世代が安心して暮らしている。
自分がいなくなったあとにも、大切なものが受け継がれている。
そんな未来の景色を思い描きながら、今日の小さな選択を「丁寧に」積み重ねていく。
これが出口設計(Exit Design)の思考と行動です。
すると、不思議なことが起こります。
同じ掃除、同じ仕事、同じ「ありがとう」でも、意味が変わるのです。
未来とつながっていない行動は、ただの作業です。
けれど、出口につながった行動は、「未来を築く行動」になるのです。
人は、大きな決断だけで生きているのではありません。
むしろ、誰にも見られていないところでの小さな選択や、何気なく口にした小さなひと言。
今日は面倒だからやめておこうか、それとも少しだけやっておこうかといった小さな判断。
そうした小さなことの積み重ねが、やがて人生の景色をつくります。
そうであれば、大切なことは、「今日をうまく過ごす」ことだけではありません。
「その先に、どんな景色をつくりたいのか」という積極的な意思が大切になります。
出口が見えれば、今日が未来と結ばれるからです。
そして、いまと未来が結ばれたなら、何気ない一日も、ただ過ぎていく一日ではなくなります。
今日の選択が、明日をつくるからです。
そして、その明日がまた、次の未来へとつながっていくからです。
今日という一日の中で、私たちが何を選ぶか。
その小さな選択の積み重ねによって、未来は、いまこの瞬間からつくられているのです。
——今日も良い一日を♪
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