人間関係がうまくいかなくなると、私たちはつい「誰が悪いのか」を探してしまいます。けれど、悪い人がいなくても、関係は壊れることがあります。善意と善意がすれ違い、愛情と愛情が届かなくなることさえあります。そんなとき、人そのものではなく、人と人との「あいだ」に観測点を置いてみる。「誰が悪い?」から「このあいだに、何が起きている?」へ。そこから見えてくるのが、Relationという新しい景色です。

今日のひとこと・Relationを見るとは、人だけを見るのではなく、人と人との「あいだ」に何が起きているかを見ること。

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Relationを見るとは、人だけを見るのではなく、人と人との「あいだ」に何が起きているかを見ること。

私たちは、人間関係で何か問題が起きると、つい「人」を見ようとします。
あの人はわがままだ、あいつは冷たい、彼は頑固者だ、あいつが悪い。
あるいは反対に、自分が悪かったのだ、自分には人を見る目がない、自分の性格には問題がある・・・などと考えてしまいがちです。
つまり、問題の原因を「誰か」という人の中に探そうとします。

ここで少し観測点を動かしてみます。

問題の本質は、本当に「人」にあるのでしょうか。
もしかすると、その人とその人の「あいだ」に、何かが起きているのかもしれません。

たとえば、ある職場では「無口で暗い人」と思われていた人が、別の仲間の中では、冗談ばかり言ってみんなを笑わせていることがある。
家でほとんど話さない子供が、学校では友達の輪の中心になっていることもあります。
普段はとても穏やかな人なのに、ある特定の人と話すときだけ、なぜか怒りっぽくなることもあります。

同じ人であって、人そのものが入れ替わったわけではありません。
どうして、こんな違いが生まれるのでしょうか。

実は、Relationが違うのです。

Aさんだけを見ても、Bさんだけを見てもわからない。
AさんとBさんの「あいだ」に立ち上がっているものを見る。
そこにRelationを見るということの、おもしろさがあります。

私たちは、人を一個の独立した存在として見ることに慣れています。
Aさんという「個体」があり、
Bさんという「個体」がある。

そして何か問題が起これば、
「Aという個体が悪い」
「いや、Bという個体が悪い」と考えます。
人そのものに原因を求めているのです。

ところがこれを Relation の観測点から見ると、
A ――― B
この線の部分を見ることになります。

言葉が届いているだろうか。
相手の言葉を、お互いがそれぞれにどんな意味で受け取っているだろうか。
期待と期待がすれ違っていないだろうか。
善意が、相手には圧力として届いていないだろうか。
「わかってくれているはず」という思い込みがないだろうか。
過去の出来事が、現在の言葉の意味を変えていないだろうか。

こうして見ていくと、問題の姿が変わってきます。
「悪い人」がいなくても、関係は壊れることがあるのです。

ここは、とても大切なところです。
悪人がいるから Relation が壊れるとは限らないからです。

善意と善意でも壊れます。
愛情と愛情でもすれ違いは起こります。
正しさと正しさでさえ、衝突することがあります。

だから、「悪者探し」だけでは、「壊れない?、みんな笑顔になれる?」という出口までたどり着かないのです。
逆にいえば、Relationが壊れたからといって、そこにいる人間そのものまで否定する必要はない。

人間関係は、必ずしも悪意によって壊れるわけではありません。

むしろ現実には、
「相手のためを思って」
「良かれと思って」
「家族だから」
「会社のためだから」
「あなたを心配しているから」
という善意が、Relationを壊すことがあります。

親は子供の将来を心配している。
子供は自分の人生を自分で選びたい。
どちらも悪人ではありません。

上司は仕事を成功させたい。
部下も良い仕事をしたい。
それでも関係がこじれることがあります。

夫婦でも、
どちらも家庭を壊したいわけではない。
どちらも幸せな家庭をつくりたい。
それでも、互いの言葉が届かなくなることがあります。

ここで、
「どちらが正しいのか」
「どちらが悪いのか」
だけを問い続けると、出口がなくなってしまうことがあります。

だから、「二人のあいだで、いま何が起きているのだろう」と問い直してみるのです。

そこに「答え」があるわけではありません。
人の世界は、そんなに単純なものではない。
けれど、そうすることで、これまでは、ただ「怒りや悲しみ」の対象でしかなかった出来事に、まったく別の景色が見えてくることがあります。

「あの人が悪い」と考えれば、出口は「あの人を直す」になります。
ところが、人はなかなか他人の思う通りには変わりません。
すると、「何度言ってもわからない」「どうして変わってくれないんだ」となっていきます。

けれど Relation を見るなら、問いが変わります。
「あの人をどう変えるか」ではなく、
「このRelationを、どう結び直せるだろう」と考えることができるからです。

言い方を変える。
話す時間を変える。
距離を少し取る。
役割を変える。
答えを出すことをやめる。
相手が何を見ているのかを聞いてみる。
こちらの思いを押しつけるのではなく、相手にどう届いているのかを確かめてみる。

変える対象が「人」から「あいだ」へ移ると、選択肢が一気に増えてくるのです。
これが Relation という観測点が持つ、大きな可能性です。

これは個人の人間関係だけのお話ではありません。
会社と社員、学校と家庭、地域と行政、生産者と消費者、日本と外国、人間と自然、人とAIなど、あらゆる関係にあてはまります。
なぜなら、どちらか一方を「良い」「悪い」と評価するだけでは見えないものが、その「あいだ」にあるからです。

どんな情報が流れているのか。
どんな期待があるのか。
どんな誤解が生まれているのか。
誰に負担が偏っているのか。
何が失われ、何が生まれているのか。
そして、そのRelationの先に、どんな未来が生まれようとしているのか。

Relationは、単なる「人間関係論」ではありません。
「この人はどんな人か」
「相手はどんな人か」
と、それぞれの人を分析するだけではなく、

その人とその人が、どのように結ばれているのか。
その「あいだ」で、いま何が起きているのか。
そこに観測点を置くのがRelationです。

昨日のテーマは「善悪を考える」でした。

善悪を考えることは大切です。
けれど、「悪い人」を決めることと、善悪を考えることは同じではありません。
誰かを悪者にした瞬間、私たちはその人の中に原因を閉じ込めてしまうからです。

だからこそ、その次にRelationを見たいのです。
「誰が悪い?」から、
「このあいだに、何が起きている?」へ。

問いを少し変えるだけで、世界の見え方が変わります。

そして「あいだ」に目を向けることができれば、
「誰を負かすか」ではなく、
「どう結び直せば、みんなが次へ進めるのか」
という出口設計が可能になります。

Relationは、人を見ないことではありません。
むしろ、人をひとりぼっちの「点」として決めつけないことです。

人は、誰かとの「あいだ」で笑い、
「あいだ」で傷つき、
「あいだ」で学び、
「あいだ」で変わっていきます。

だから、人だけを見るのではなく、
その「あいだ」に何が生まれているのかを見る。
そこには、「誰が悪い」という問いだけでは見つからなかった、新しい出口が、きっとあるのです。

人を見る。
そして、その人と人との「あいだ」を見る。

Relationとは、そこから始まるのだと思います。

——今日も良い一日を♪

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