思考力と洞察力を取り戻せ
いささか乱暴な書き方になりますが、日本人は、いわば羊の群れと同じです。リーダーが曲がると、全員が曲がった方に付いていきます。その意味で、日本社会をリードする優秀なリーダーは必要なのですが、偏差値40の高校に、偏差値75の秀才が入ってきても、それはただの突然変異株として、社会から排除されてしまうのです。
国民の偏差値を、40から50に上げるだけで、トップ集団は偏差値65オーバーになります。55になれば、トップ集団は75以上となり、東大や早稲田慶應も視野に入るようになります。つまり、日本人社会全体のレベルアップが必要なのです。
日本人に日本語が通じない
責任ある社会人とって大切なことは、自分の頭で考え、行動し、同じ共同体の一員としてコミュニケーションをとることができることです。国家が行う教育はそのためにあります。それができない日本人が増えています。これは戦後の文科省の大罪です。
もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし
辛さを知る人が自分一人しかいなかったとしても、たとえ心が折れてしまったとしても、あの折れた山桜のように、立派に花を咲かせていく。行尊の歌は、そんな、人生の辛いときにこそ、心に沁みる歌です。
初代聯合艦隊司令長官伊東祐亨(いとうゆうこう)物語
何か大きな事故や災害があったときに、死を前にした生徒や教師が、「校長さえご無事なら本校は安泰です、万歳!」などと叫んで息絶えるでしょうか。あるいは会社が不慮の災難に襲われたとき、「社長さえ(部長さえ)ご無事なら、我が社は安泰です!」と叫んで息絶えるでしょうか。そうでないなら、私たちは、教育や会社組織のあり方を抜本的に考え直さなければならないところまできているのかもしれません。
大阪で五千人が亡くなられた事件から学ぶこと
歴史は、年号や事件名を覚えるためのものではありません。今に活かすべき知恵を得るための学問です。そういう教育を復活させることで、様々な側面を持つ日本の政治や法務、行政や産業などの「要(かなめ)」ができるのです。これを国民精神と言います。必要なことは、大人も子供も共に学べる新しい教育です。
公正な世界と日本の自立
「人は対等」「一寸の虫にも五分の魂」は、古来変わらぬ日本人の精神性の根幹です。しかし、このことをたいせつにしていくためには、日本は食料も軍事も法律も、すべてにわたって自立していかなければならないことを歴史から学んでみたいと思います。
戦いの神アレスとネオコン
おそらく現代の世界において、ネオコンという名のアレスから世界を守るのは、女性神であるアテナではないかという気がします。
つまり日本人が、あらためて天照大御神を大切にお祀りするようになったとき、日本と世界は、ネオコンという名のアレスに勝利するということなのではないか、そんな気がします。
水師営の会見と国語教育
私達日本人は、戦後、さまざまなものを手に入れました。そしてそれまでには考えられなかったような、すばらしく豊かで平和な日本を築き上げました。けれど、だからといって国として大切なことを忘れてしまったら、どうなるのでしょうか。人として大切なことを忘れてしまったら「人でなし」といいます。ならば、国なら「国でなし」です。国そのものが成立しなくなるのです。神々は、そのような国は、お許しにならないのではないでしょうか。