「かぐや姫」は、ただの恋物語でも、おとぎ話でもありません。竹取物語の冒頭には、日本人が千年以上にわたって大切にしてきた「壊さないための知恵」と、「富と徳の本当の関係」が、静かに織り込まれています。なぜ、光る竹から生まれた姫は、翁のもとに現れたのか。なぜ、翁は豊かになり、家は光に満ちたのか。この第1章「生い立ち」から、竹取物語が描こうとしている“文明の物語”を、現代の私たちの生き方と重ねながら読み解いていきます。

日本人なら知らない人はいない「竹取物語」の講義を書いていこうと思います。
「竹取物語」は、9世紀から10世紀にかけて成立した、日本の平安王朝かな文字物語として、現存最古の作品です。そしてかな文字であるということは、主に女性たちによって語り継がれてきた文学でもあるということです。
ですから内容も、ただの童子向けの日本昔話ではありません。「欲望 → 試練 → 破綻 → 手放し」という人間の魂の成長や、どうすれば世の中が壊れていくのかなど、まさに日本人が関係性の文化を営むにあたって必要な事柄が記された作品となっています。
そこでこの倭塾のHPを利用して、「竹取物語」の原文を、以下の9章に分け、それぞれの章を深堀りしながら、皆様とともに、読み進めて行きたいと思います。
また、この深堀りが、現代を生き抜く知恵となるよう、さらに現実に即した内容に強化したものを「倭塾サロン」に掲載していきます。
どうか、お楽しみにしていただければと思います。
尚、原文は古谷知新 校訂『竹取物語・伊勢物語・土佐日記・枕艸子・落窪物語・狹衣物語』(國民文庫)
画像は立教大学蔵の「竹取物語絵巻」(江戸時代中前)の作をご紹介しています。(https://library.rikkyo.ac.jp/digitallibrary/taketori/contents/emaki_01.html)
現代語訳は、ねずさんオリジナルです。
「竹取物語」
第1章 生い立ち
第2章 求婚と難題
第3章 仏の御石の鉢
第4章 蓬莱の玉の枝
第5章 火鼠の裘
第6章 龍の首の玉
第7章 燕の子安貝
第8章 帝の懸想
第9章 かぐや姫の昇天
第1章 生い立ち(現代語訳)
むかしむかし、竹取の翁と呼ばれる人がいました。
野や山に分け入り、竹を切りながら、それをさまざまな用に使って暮らしていました。
名前は、讃岐造麿(さぬきのみやつこ・まろ)といいます。
ある日、その翁がいつものように竹を切っていると、
一本だけ、ひときわ光り輝く竹がありました。
不思議に思って近づき、のぞいてみると、
筒の中が光り、その中に、三寸(九センチほど)ほどの、とても美しい小さな人が座っていたのです。
翁はそれを見て言いました。
「私は毎朝夕方、この竹の中においでになるのを見てきた。
この方は、きっと私の子として生まれるべき人なのだろう。」
そう言って、その小さな人を手に取り、家へ連れて帰りました。
そして、妻であるおばあさんに預けて、大切に育てさせました。
その子は、この世のものとは思えないほど美しく、あまりにも小さいので、籠の中に入れて育てました。
この子を見つけてからというもの、翁が竹を切るたびに、不思議なことが起こりました。
節ごとに、次々と金の入った竹が見つかるようになったのです。
こうして翁の暮らしは、しだいに豊かになっていきました。
その間にも、その子はすくすくと成長し、三か月ほど経つころには、すでに見事な娘の姿になっていました。
髪を結い、裳を着せて、きちんとした身なりを整えました。
翁と妻は、この娘を帳(とばり)の中からも出さず、大切に、大切に育てました。
あまりの美しさと清らかさに、その家の中は、暗いところ一つなく、光に満ちているようでした。
翁が病気で苦しむときも、この娘の顔を見ると、不思議と苦しみが和らぎ、怒りや不安も、いつの間にか消えていきました。
翁は竹を取ることにも慣れ、いつしか腕の立つ、たくましい男になっていました。
やがて娘はすっかり成長し、三室戸斎部(みむろとのいはいべ)の秋田という人を呼んで、名をつけさせました。
「なよ竹のかぐや姫」・・・しなやかな竹のように美しい、かぐや姫と名づけられました。
その祝いとして、三日三晩、宴が開かれました。
さまざまな遊びが行われ、男女の区別なく人々が集められ、にぎやかに、楽しく遊んだのです。
【解説】
「富は追わず、徳を迎える」という日本的世界観
この冒頭部分は、ただの「不思議な出会い」ではありません。
ここには、日本文明の根っこにある世界観が、きわめて丁寧に織り込まれています。
1 竹取の翁という存在
竹取の翁は、都の貴族でも、武士でも、商人でもありません。
「野山にまじりて竹をとりつゝ、萬の事につかひけり」とあるように、自然の中に入り込み、必要な分だけを取り、それを役立てて生きる人です。
ここで描かれているのは、自然を「支配する人」ではなく、自然の循環の中で「役割を果たす人」です。
つまり物語の舞台は、最初から、奪い合いの文明ではなく、調和の文明に置かれています。
2 光る竹とは
無数にある竹の中で、一本だけが光っている。
これは偶然の演出というより、異界からのしるしとしての「光」を意味していると考えられます。
天や霊の世界とこの世をつなぐ「通路」があるということは、かぐや姫は、この世界の存在ではなく、別の次元の理(ことわり)を持つ存在として現れたということです。
つまり彼女は「女性」や「娘」である以前に、この世界に「何かをもたらすために来た」存在なのです。
3 翁のひと言が文明を分ける
翁はこう言いました。
「子になり給ふべき人なンめり」
これは決定的な一言です。
翁は「私の子だ」とは言っていません。「子になるべき人」・・・つまり、かぐや姫を、役割として迎え入れています。
ここに、日本的な「養う」という感覚があります。
所有するのではなく、預かる。
支配するのではなく、育てる。
この一点で、後に現れる求婚者たちの文明と、翁の文明は、はっきり分かれます。
4 富は「追う」と壊れ、「迎える」と集まる
翁が金持ちになったのは、金を求めたからではありません。
かぐや姫という“徳ある存在”を迎え入れた結果、竹の節の中に、自然と金が現れたのです。
ここに日本神話の基本構造があります。
価値を追いかけると場が壊れ、価値を大切にすると、富が添えられる。
富を追うと壊れ、徳を迎えると富がついてくるのです。
その思想が、ここにそのまま描かれています。
5 家が光るということ
「家の内は暗き處(ところ)なく光滿(み)ちたり」
これは比喩ではありません。
かぐや姫という存在が来たことで、その家の「場」そのものが変わったことを意味します。
人が癒やされ、
怒りが静まり、
苦しみがほどける。
ここに日本文化の、「救い」は個人ではなく、場が「整うこと」で起こるという思想があります。
このことが、後の物語すべての伏線となっています。
6 名付けと宴の意味
名前を与え、人々を集めて宴を開く。
これは「所有の宣言」ではなく、社会の中に位置づける儀式です。
かぐや姫は、自然と霊の世界から来て、人の世の「関係の網」の中へと置かれたのです。
7 まとめ
この第1章が語っていること。
それは、かぐや姫とは、「自然と霊と人が調和していた世界の理」そのものだということです。
それを、「預かる人は豊かになり」
それを、「所有しようとする人は、世界を壊す」。
つまり竹取物語は、恋愛譚でもなければ、おとぎ話でもない。
文明がどう壊れ、どう守られるかを描いた物語なのです。
この最初の一章だけで、すでに結末までの構図が、しっかりと仕込まれています。
それが竹取物語の恐ろしさであり、美しさでもあります。
【原文】第1章 生い立ち
今は昔竹取の翁(おきな)といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつゝ、萬の事につかひけり。名をば讃岐造麿(さぬきのみやつこ・まろ)となんいひける。
その竹の中に、本(もと)光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中ひかりたり。それを見れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。翁いふやう、
「われ朝ごと夕ごとに見る、竹の中におはするにて知りぬ、
子になり給ふべき人なンめり」とて、手にうち入れて家にもてきぬ。
妻の嫗(おみな)にあづけて養はす。美しきこと限なし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。
竹取の翁この子を見つけて後に、竹をとるに、節をへだてゝよ毎に、金ある竹を見つくること重りぬ。
かくて翁やう\/豐になりゆく。この児養ふほどに、すく\/と大になりまさる。三月ばかりになる程に、よきほどなる人になりぬれば、髪上(かみあげ)などさだして、髪上せさせ裳着もぎす。帳(ちやう)の内よりも出さず、いつきかしづき養ふほどに、この児のかたち清けうらなること世になく、家の内は暗き處(ところ)なく光滿ちたり。翁心地あしく苦しき時も、この子を見れば苦しき事も止みぬ。腹だたしきことも慰みけり。翁竹をとること久しくなりぬ。勢猛の者になりにけり。
この子いと大になりぬれば、名をば三室戸齋部秋田(みむろとのいはいべのあきた)を呼びてつけさす。秋田なよ竹のかぐや姫とつけつ。このほど三日うちあげ遊ぶ。萬(よろづ)の遊をぞしける。男女をとこをうなきらはず呼び集へて、いとかしこくあそぶ。



