人生には、自分では選べない出来事があります。けれど、その出来事にどう向き合い、そこからどんな未来へ歩むのかは、自分で選ぶことができます。それは人の人生だけでなく、国の歩みにもいえることです。敗戦と焼け野原から立ち上がった戦後の日本。その出発点で昭和天皇が示された「総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ」というお言葉から、「姿勢」とは何かを考えます。

今日のひとこと・姿勢は、何が起きたかではなく、起きたことにどう向き合うかにあらわれる。

_

姿勢は、何が起きたかではなく、起きたことにどう向き合うかにあらわれる。

突然の失敗。
思いがけない別れ。
誰かから言われたひと言。
予定どおりに進まない仕事。
努力しても、なかなか結果が出ない。
ありますよねー、自分で選べない出来事。

「起きたこと」は、あとから消すことができません。
ところがおもしろいことに、同じ出来事に遭遇しても、その後の歩みは人によって違います。

「もうダメだ」と立ち止まる人もいれば、
「では、ここから何ができるだろう」と考える人もいます。
腹を立て続ける人もいれば、
「なぜ、こんなことが起きたのだろう」と考える人もいます。
「この経験を、これから何に活かせるだろうか」と未来へ目を向ける人もいます。

その違いは、起きた出来事ではありません。
出来事に向き合う姿勢です。

いつも前向きでいなければならないわけではありません。
悲しいときには、悲しんでいいし、苦しいときには、苦しいと感じていい。
疲れたときには、休むことだって必要です。

ただ、大切なことは、そのときの感情に、自分の未来まで預けてしまわないこと。
「こんなことが起きた。だから自分は不幸なのだ・・・」

よく聞く言葉ですが、そこで話を終わらせるのではなく、
「では、ここから自分はどう生きようか」と、もう一度問い直してみる。

すると、過去の出来事そのものは変わらなくても、その出来事が持つ意味が変わります。
これは本当です。

どんな人にも、どんな出来事にも、失敗はかならずあるのです。
だから次の工夫をするのです。
悔しさが、自分を磨く力になることもあります。
悲しみを知ったからこそ、誰かの悲しみに寄り添えるようになることもあります。

人生を形づくるのは、起きた出来事だけではなく、
起きたことと、自分との「あいだ」に、どのような関係を結ぶのか、です。

だから「姿勢」が大事なのです。

姿勢は、単なる気分や心構えではありません。
過去と未来を結ぶものです。

過去に起きたことは選べません。
そこからどっちに向かって歩いていくかは、今日の自分が選ぶことができます。

人も国も組織も団体も、思いどおりにならないことなんてたくさんあるし、むしろ思い通りにならないことだらけです。
けれど、
何が起きたかだけで、自分の未来まで決めさせない。

起きたことにどう向き合い、
そこから何を受け取り、
次にどんな一歩を選ぶのか。

その小さな選択の積み重ねが、
やがて形をつくっていきます。

終戦当時、日本は焼け野原でした。
人々には、住むところもなく、衣類も着たきり雀、食べるものも人口比で7割しかない状況でした。
そこへ占領軍が乗り込んできました。
彼らはやりたい放題でした。

ここで大切なことは、「敗戦したから、その後の日本が決まった」のではなく、
敗戦という動かせない事実に、日本人がどう向き合ったのかが、その後の日本をつくったという点です。

昭和天皇は、終戦の御詔勅で、全国民に向けて、次のお言葉を発せられました。

「若シ夫レ情ノ激スル所
 濫ニ事端ヲ滋クシ
 或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ
 為ニ大道ヲ誤リ
 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ
 朕最モ之ヲ戒ム」

そして、続けて、

「神州ノ不滅ヲ信シ
 任重クシテ道遠キヲ念ヒ
 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ
 道義ヲ篤クシ
 志操ヲ鞏クシ
 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ
 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
 爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ」

と仰せになられました。
こうして終戦後の日本のあゆみが始まりました。
占領軍が言う無理難題や理不尽を、日本は諾々と飲みました。
そして当時の人々は、その無理難題や理不尽以外のところで、必死で努力し、国土を復興させ、教育を再開し、住まいや食料、衣料を確保していきました。
森林も、その多くが消失しました。
そして戦後81年、日本は平和を保っています。

世界の戦争では、敗戦した国では、テロが繰り返し行われます。
先の大戦の敗戦国であった、ドイツ、イタリア、あるいは湾岸戦争後のイラクでも、それは起きています。
日本にも、戦後、政治的な暴力事件や過激派によるテロ事件がありました。

それでも大事なことは、あれほどの敗戦と困窮を経験した日本社会が、報復や復讐を「国家再建の中心に据えなかった」ということにあると思います。

要するにほとんどの国民は、陛下の御詔勅の言葉を胸に、それぞれができる範囲で必死で家族を支え、平和を希求し、勤勉かつまじめに努力を重ねてきたのです。

我々日本人に、敗戦という「起きたこと」を変えることはできません。
しかし、私たちの先輩たちは、その敗戦とどのような関係を結び、そこからどのような未来へ歩むのかを、間違いなく選んで来ました。

だから思うのです。
**姿勢とは、何が起きたかではなく、
起きたことにどう向き合うか。**です。

そしてその姿勢は、
自分ごとそのものでもあります。

そして姿勢は、今日からでも、自分で選ぶことができるものです。

——今日も良い一日を♪

_

■新刊 大好評発売中
これが私の集大成本です。
『思想の時代は終わった』
https://amzn.to/3P5D0lS

_

Screenshot

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。