「あの人は、そういう人だから」と決めつけた瞬間、私たちは相手そのものを問題にしてしまいがちです。けれど、同じ人でも、誰と、どのような関係を結ぶかによって、そこから生まれるものは変わります。それは、すでに起きてしまった過去や出来事についても同じです。Entityは変わらなくても、Relationが変われば未来は変わる。人と人の「あいだ」、そして自分と出来事との「あいだ」から未来が生まれるという視点について、私自身の体験を交えて考えてみます。

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Relationが変われば、未来が変わる。
人間関係がうまくいかないとき、私たちはつい、
「あいつは、そういうやつだ」と決めてしまうことがあります。
あいつは頑固だ。
あの人は話を聞かない。
あの人は怒りっぽい。
あいつは本当に頼りない。
そうやって相手を「どんな人か」で捉え、問題の原因を相手そのものに求めてしまいます。
ところがおもしろいことに、同じ人でも、相手が変われば、まるで違う姿を見せることがあります。
家では無口なのに、友人の前ではよくしゃべる。
職場では鬼のように厳しい人なのに、孫の前では驚くほどの好々爺。
ある人とはいつも喧嘩になるのに、別の人とは笑顔で穏やかに話ができる。
人そのものが、突然別人になったわけではありません。
変わったのは、その人と相手との「あいだ」です。
これをRelationという観測点から見ると、人間関係について少し違った景色が見えてきます。
たとえば、いつも意見がぶつかる二人がいたとします。
Aさんは、
「Bさんは、いつも私の意見を否定する」
と思っている。
Bさんは、
「Aさんは、こちらの話を聞こうとしない」
と思っている。
こうなると、Aさんが何かを言えば、Bさんは身構えます。
身構えたBさんが反論すれば、Aさんは「また否定された」と感じます。
そして互いに、
「やっぱり、あの人はそういう人だ」という思いを、ますます強くしていきます。
けれど、ここで観測点を少し動かしてみます。
問題は、本当にAさんなのでしょうか。
それともBさんなのでしょうか。
もしかすると、問題は二人の「あいだ」に生まれている関係の型にあるのかもしれない。
そう考えてみるのです。
そこでAさんが、
「どうしてわかってくれないの?」
ではなく、
「あなたは、どう考えているの?」
と尋ねてみる。
するとBさんも、
「いや、それは違う」
ではなく、
「そういう見方もあるけれど、自分はこう考えていたんです」
と答えるかもしれません。
AさんもBさんも、同じ人です。
目の前にある問題も同じです。
それでも二人の「あいだ」が変われば、そこから生まれるものが変わるのです。
言い争いだった時間が、対話になる。
対立していた者同士が、一緒に解決策を考える仲間になる。
そこで生まれた解決策によって、さらに周囲との関係まで変わっていく。
つまり、
Relationが変わるということは、未来の分岐点が変わるということです。
これは家庭でも、学校でも、会社でも、社会でも同じです。
同じ人、同じ問題、同じ出来事でも、そこにどのようなRelationを築くかによって、そのあとに続く物語が変わるのです。
だから、「あの人を変えなければ」と考える前に、
「あの人との『あいだ』に、どんな関係を育てたらよいだろう」と考えてみる。
そしてさらに、「この関係から、どんな未来を生みたいのだろう」と考えてみる。
ここでRelationは、出口設計へとつながります。
ただし、ひとつ注意があります。
Relationそのものが「正しい答え」なのではありません。
すべての人と仲良くしなければならないわけではありません。
どんな関係でも維持すればよい、というものでもありません。
ときには距離を置くことが、よりよいRelationになることもあります。
大切なのは、ひとつの型を正解にすることではありません。
人を見る。
出来事を見る。
そして、その「あいだ」を見る。
そのうえで、
ここから、どんな未来を生みたいのか。
と問い続けることです。
これは、すでに起きてしまった過去についても同じです。
過去そのものを変えることはできません。
歴史上の出来事も変えられません。
けれど、
その過去と、いまの自分とのRelationは変えることができます。
数年前、こんなことがありました。
ある団体で、これから伸びていただきたい方々を集めた勉強会があり、私は講師として数時間に及ぶ講義をさせていただきました。
自慢ではありませんが、講義は笑いに包まれ、誰一人途中で寝る人もなく、最後には盛大な拍手をいただきました。
ところが講義が終わると、ご主催の方が壇上に立たれ、私を横に置いて、怒り顔でこうおっしゃったのです。
「今日はこんな講義を聴いてもらうために、皆さんに集まってもらったのではない!」
思わず、「えっ!?」です。
私だって講義は真剣勝負です。
皆様に感動をお届けする。
そのために、与えられた時間を一秒たりとも無駄にしない覚悟で壇上に立っています。
しかも数時間に及ぶ講義です。
それなりに講義には自信もありました。
普通なら、「馬鹿にするな!」と席を蹴ってもおかしくない場面です。
けれど私は、そのとき自分の中に生まれた「不愉快だ」という感情を、ひとまず保留にしました。
その場ではニコニコしていました。
そして後になってから、
「自分は懸命に講義をした。皆さんも喜んでくださった。
それなのに、なぜあの方は、あのようなことをおっしゃったのだろう」
と考え続けました。
すると、やがて気づいたのです。
その勉強会の目的は、私の講義を楽しんでもらうことではありませんでした。
ご参加された皆様が、そこで得たものを自分自身の力にして、これから伸びていくことだったのです。
つまり、
「おもしろかった」
「勉強になった」
「いい話を聞いた」
だけでは足りない。
講演が終わったあと。
数日後。
あるいは数週間、数か月後。
自分自身の経験の中で、
「そうか! あのときの話は、このことだったのか!」
と気づくこと。
その瞬間、講義は「聞いた話」や「教わった話」ではなく、自分で気づいた、自分の実体験からの知恵になります。
つまり、
「話を聴いてもらう」のではなく、
「話を活かしてもらう」。
主催者の方は、そのことを、ご参加の皆様に伝えたかったのだと気づきました。
そしてこのことに気づいたとき以降、私自身、講義に対する考え方が変わりました。
それまで通り、その場で楽しんでいただく、勉強になったと感じていただく。
もちろん、それらも大切です。
けれど、それ以上に、
何日か後。
何か月か後。
その方自身の実体験と講義の内容が結びついて、
「そうか! このことだったのか!」
と気づいていただける講義を目指すようになりました。
この場合、講演直後の拍手の量は、以前より減るかもしれません。
それでもいい。
あとになって、その講義内容がその方自身の経験と結びつき、その方自身の知恵になるのなら、そのほうがずっと大切です。
もしあのとき、
「ワシがせっかく講義したのに、なんじゃその言い草は!」
と、自分の怒りだけを「正しいもの」としていたら、どうだったでしょう。
私にとって、あの出来事はただの「不愉快な過去」に過ぎないものとなっていたと思います。
出来事そのものは変わりません。
主催者の方がおっしゃった言葉も変わりません。
変わったのは、
その出来事と私とのRelationです。
出来事を「侮辱」と結べば、そこから生まれるのは、怒りと対立です。
けれど、
「自分の講義をさらに先へ進めるための問いをいただいた出来事」と結び直すと、同じ過去から、まったく違う未来が生まれます。
不愉快な感情を無視しろと言っているのではありません。
怒りも、悲しみも、違和感も、大切なセンサーなのです。
ただ、そのセンサーが鳴った瞬間に、
「だから相手が悪い」と答えを確定させない。
なぜ自分はそう感じたのか。
相手はなぜそう言ったのか。
この出来事から何を受け取ることができるのか。
そして、ここからどんな未来へ進みたいのか。
少し観測点を動かしてみるのです。
すると、同じ人、同じ出来事であっても、それまでとは違う未来への道が、きっとどこかに見えてきます。
この世に完璧なものなどありません。
どれほど完璧を目指しても、その先があります。
だから、ご意見は謙虚に受け止める。
怒りの感情に支配されるのではなく、
感情を自分の中のひとつのセンサーとして受け止め、新しいRelationを築くための手がかりにしていく。
過去は変えられません。
相手も、簡単には変えられません。
けれど、
その人や出来事と、自分との「あいだ」は変えることができます。
「あいだ」が変われば、次の一歩が変わるのです。
次の一歩が変われば、その先の景色が変わるのです。
だから今日のひとことは、
Relationが変われば、同じ人、同じ出来事から生まれる未来も変わっていく。
未来は、どこか遠くから突然やってくるものではありません。
いま、ここにある人と人の「あいだ」。
過去と現在の「あいだ」。
そして、自分と出来事との「あいだ」。
その「あいだ」から、
未来は少しずつ生まれていくのです。
Entityは変わらなくても、Relationが変われば、そこから生成される未来は変わる。
——今日も良い一日を♪
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