日本的共生と西洋的民主主義
奈落で何かを学んで、立ち上がったとき、その人や組織は、二周りも三周りも強くたくましくなっています。日本に希望を、日本の再生をという運動は、こうして何度でも立ち上がるチャレンジ活動といえます。それは、考える自由の発露であり、ストレスという制約を受けての再起三起です。
元の大帝国に敢然と立ち向かった男
元寇に際して日本が戦うことを選択しなかったなら、元の大軍は、易々と日本上陸を果たしていたことでしょう。そして上陸していたならば、彼らは台風で船団ごと壊滅することもなかったことでしょう。つまり、明確に戦う意思を示した北条時宗の英断と、命を的に戦いぬいた鎌倉武士たちの活躍がなければ、その後の日本の歴史は大きく変わっていた、ということです。これは少し考えたら、誰にでも理解できることだろうと思います。
その意味での神風は、このとき断固戦うことを選択した北条時宗の決断そのものであったといえるのです。
因縁話と江戸城天守閣
明暦の大火のあと、幕府は江戸城天守閣の再建をしませんでした。民間への援助を優先したためです。こういうことこそが、我が国施政の誇りといえるのではないでしょうか。
近世まで水車小屋を造ることができなかった国
儒教国というのは、人の上下が全ての国です。そうなるとその社会は、賄賂社会になります。上に経つ両班は何もしない。仕事をする人々には予算も配られない。そしてこの体制のもとでは、新しいプロジェクトへのチャンジなど、まず行われることがないのです。
よその国の昔の話だと笑ってはいられません。現代日本が、いままさにそうなりつつあります。
熟田津に船乗りせむと月待ば
時は出征のときです。若者たちの心を鼓舞しなければならないことも十分に承知しています。だから皇極天皇は、そばにいる、日頃から信頼する額田王に、「この歌は、おまえが詠んだことにしておくれ」と、この歌をそっと手渡されたのです。
「言ってること」と「やってること」
「言ってること」と「やってること」の違いの根幹にあるものは、常に「ないものねだり」です。「みんなで勉強して、本当のことを知ろう。そうすることで、みんなで日本を変えよう」というのは、「ない」から「創(つく)ろう」という運動です。本気で日本を変えようとするなら、それしか他に方法がないのです。
サミュエルソン経済学と日本
高度成長期の日本経済は、極端な言い方をすれば、「豚は太らせて食え戦略」に乗っかったものであったといえます。いまは、その太らされた豚が、まさに料理されている状況です。これは日本がどこかの国のATMになっているということです。他国への依存をいつまでも続けていれば、当然、そのような形になります。