本日、新刊『思想の時代は終わった』が発売となりました。発売日に何を書こうかと考えたとき、あえて本の内容紹介ではなく、「トイレ」の話を書くことにしました。一見すると無関係に見えるかもしれません。けれど実は、日本のトイレが古くから個室であったという事実の中には、日本人が大切にしてきた価値観や社会の在り方が隠されています。安心して扉を閉めることができる社会とは何か。人と人との信頼は、どのように育まれてきたのか。そして、そのことはなぜ出口設計という考え方につながるのか。
今回は、日本の個室トイレを切り口に、私たちが未来へ残したい社会について考えてみたいと思います。

トイレが個室であることの幸せ

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※この記事は、本日公開の「foomii ウェブマガジン」に掲載した内容の写しです。
foomii ウェブマガジン
https://foomii.com/00333/20260616073434154099

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1 新刊発売日に、なぜトイレの話なのか

本日、私の新刊『思想の時代は終わった』https://amzn.to/3P5D0lS )が発売となりました。

発売日に何を書くべきかと考えたとき、本の内容を紹介することももちろん大切です。
けれど、それ以上に、この本で私が何を伝えたかったのかを、別の角度からお話ししてみたいと思いました。

そこで取り上げるのが、なんと「トイレ」です。

「新刊発売日にトイレの話?」
そう思われた方もおいでになるかもしれません。
けれど実は、トイレほど、その国の文化や社会の在り方を映し出すものはありません。

私たちは毎日、何気なくトイレを使っています。
家のトイレも、学校のトイレも、会社のトイレも、多くの場合は個室です。

扉を閉めれば、そこは自分だけの空間になります。
誰かに襲われる心配をする人はいません。
誰かが無理やり扉を開けてくるかもしれないなどと考える人も、ほとんどいないでしょう。

けれど、少し歴史に目を向けると、実はこれは世界的に見れば決して当たり前のことではありません。

なぜ日本では、当たり前のように個室トイレが成立したのでしょうか。
なぜ私たちは、それを当然のものとして受け入れているのでしょうか。

そこには、単なる設備や建築技術を超えた、日本人が長い年月をかけて育んできた社会の姿があります。

そして実は、そのことは本日発売となった『思想の時代は終わった』とも深くつながっています。

多くの人は「何が正しいか」と思想を論じます。
けれど出口設計が問うのは、「その結果がどんな社会になるのか」です。

人々が安心して暮らせる社会なのか。
信頼し合える社会なのか。
最後にみんなが笑える社会なのか。

今日はそんなことを、毎日誰もが使う「トイレ」という、ちょっと変わった切り口から考えてみたいと思います。

2 馬上・枕上・厠上

「馬上・枕上・厠上(ばじょう・ちんじょう・しじょう)」という言葉があります。
良い考えやアイデアは、馬に乗っているとき、枕に頭を乗せているとき、そして厠(かわや)、つまりトイレにいるときに浮かぶ、という意味です。
この言葉は、北宋の政治家・文学者であった欧陽脩(おうようしゅう)の『帰田録』にある言葉として知られています。

なるほどと思います。
実際、何かを一生懸命考えているときよりも、ふっと気が抜けた瞬間に良い考えが浮かぶことがあります。
散歩をしているときや、お風呂に入っているとき、布団に入ったとき。
そして、トイレに入っているときです。
私自身も、講演の構成や原稿の流れ、あるいは歴史の解釈について考えているときに、ふとトイレの中で「あ、そうか」と気づくことが少なくありません。

ここで大切なことは、トイレそのものではありません。

人が安心してひとりになれること。
誰にも邪魔されず、
誰にも急かされず、
しばらく自分の考えと向き合えること。
その「余白」があることです。

ところが、ここでひとつの疑問が生まれます。
なぜトイレは、そのような場所になり得たのでしょうか。

もし用を足している最中に襲われるかもしれない社会であったなら、人は安心して考え事などできません。
もし隣から丸見えで、常に周囲を警戒しなければならない環境であったなら、そこは「余白の空間」にはなり得ません。

馬上・枕上・厠上という言葉は、一見すると単なる処世訓のように見えます。
けれどその背景には、
人が安心して考えられる環境とは何か。
文明とは何か。
社会とは何か。
という、もっと大きな問いが隠れているように思うのです。

そして日本という国は、実は古くから、その「安心してひとりになれる空間」を大切にしてきた国でした。
その象徴が、個室のトイレです。

私たちが当たり前だと思っているその個室は、実は世界的に見れば決して当たり前の存在ではありません。
そこで次に、日本のトイレがなぜ個室になったのかを考えてみたいと思います。

3 なぜ日本のトイレは個室なのか

私たち日本人にとって、トイレが個室であることは、ごく当たり前のことです。
家のトイレもそうですし、学校や会社、駅や商業施設のトイレもそうです。

扉を閉めれば、そこは自分だけの空間になります。
だから私たちは、何の疑問も持たずにトイレの扉を閉めます。

けれど、少し世界に目を向けると、この「当たり前」が決して当たり前ではないことに気付きます。

たとえば欧州では、近代に至るまで王侯貴族の宮殿ですら、必ずしも個室トイレが整備されていたわけではありません。
中国では比較的近年まで、公共トイレの多くが仕切りのない構造でした。

もちろん時代や地域によって事情は異なります。
けれど少なくとも、「扉を閉めて安心して用を足す」という文化が、人類共通の常識であったわけではないのです。

それでは、なぜ日本では古くから個室トイレが普及したのでしょうか。
奈良時代の藤原京には水洗式トイレの遺構が発見されています。
武田信玄が使用したと伝えられるトイレも、水洗式の個室でした。
江戸時代の長屋でさえ、共同利用のトイレはあっても、用を足す場所は個室になっていました。

つまり日本では、かなり古い時代から、
「用を足すときはひとりになる」という考え方が定着していたことになります。

ここで大切なことは、設備ではありません。
「なぜ個室が成立したのか」です。

個室は、薄い板一枚で仕切られた空間です。
現代のような鉄筋コンクリートでもなければ、防犯カメラがあるわけでもありません。
もし人々が常に命の危険にさらされていたなら、そのような場所で安心して用を足すことなどできないはずです。

ところが日本人は、古くから個室を作りました。
しかも、その個室を安心して利用してきました。

なぜでしょう?

それは、日本人が優秀だったからでも、建築技術が高かったからでもありません。
もっと単純な理由です。
そこには、「用を足している人を襲わない」という社会の常識があったからです。

もちろん、世の中に争いがなかったわけではありません。
戦もありましたし、犯罪もありました。
それでもなお、相手が最も無防備な状態にあるときに襲うことを「恥」とする感覚が、日本人の社会には根付いていました。
だからこそ、人は安心して扉を閉めることができたのです。

つまり個室トイレとは、建物の話ではなく、人と人との信頼の話なのです。

そして、この信頼が、日本社会を支えてきた基盤となっていたのです。

4 家光公のトイレから見えるもの

だいぶ以前のことになりますが、テレビ番組で埼玉県川越市の喜多院が紹介されていました。
喜多院には、江戸城から移築されたとされる建物が残されており、その中には徳川家光公誕生の間や、春日局ゆかりの部屋などがあります。
その番組で紹介されていたのが、家光公が使用したとされる厠(かわや)でした。

ところが、その説明を聞いていて、私は思わず首をかしげました。
番組では、
「家光公が用を足す際には、四人の警護の武士が厠の中で警護にあたった」という説明がなされていたのです。

しかし、現場の映像を見ると、それはどう考えても不自然です。
厠は、せいぜい一・五メートル四方ほどの小さな空間です。
そこに用をたす家光公がおいでになり、さらに四人の武士が入るとなると、大人五人が押し込まれることになります。
もしそこで敵に襲われたらどうでしょう。
刀を抜くことも難しいでしょうし、かえって家光公を危険にさらしてしまいます。

そもそも警護というものは、敵が侵入してから戦うことではありません。
敵を近づけないこと。
そして危険を早期に察知して、安全な場所へ避難していただくことです。
そう考えれば、警護の武士が立つべき場所は厠の中ではなく、その周囲であることは明らかです。

私はこの説明を聞きながら、むしろ別のことに驚きました。
それは、将軍である家光公が、そのような薄い板一枚で囲まれた個室を普通に使っていたという事実です。
もし本当に用便中の襲撃が日常的に起こる社会であったなら、
将軍のトイレはもっと頑丈な石造りの要塞のような構造になっていたはずです。

ところが実際にはそうなっていません。
もちろん周囲には警備の者がおり、厳重な警戒体制も敷かれていたことでしょう。
けれど最終的には、薄い板一枚の向こう側で、将軍がひとりになることが許されていたのです。

ここに私は、日本社会の特徴を見るのです。

つまり当時の日本では、
「用を足している人を襲う」ということが、そもそも人として恥ずべき行為であるという社会常識が成立していたことです。

相手が無防備な状態にあるときに襲うことは、武勇ではありません。
卑怯な行為です。
だからこそ、家光公のような将軍であっても、個室の厠を利用することができたのです。

私は、このことを単なるトイレの話だとは思いません。
むしろ、その社会が何を大切にしていたのかを示す、ひとつの象徴だと思うのです。

建物の形は、社会の姿を映します。
個室トイレが存在したということは、その背後に、人と人との信頼や節度が存在していたということでもあるのです。

5 安心して用を足せる社会

ここまで見てきたように、日本では古くから個室トイレが存在していました。
もちろん、その背景には技術の発達もあります。
けれど、本質はそこではありません。
どれほど立派な個室を作ったとしても、その社会に信頼がなければ、人は安心してその扉を閉めることができないからです。

なぜなら、人が最も無防備になる瞬間がトイレにあるからです。
武器も持たず、身動きも取りにくい。
もし相手を害そうと思うなら、これほど襲いやすい場所はありません。

ところが日本では、古代から近世に至るまで、用便中の人を襲撃したという話がほとんど見当たりません。
もちろん争いはありました。戦もありました。敵討ちもありました。
けれど、それでもなお、「そのようなことをしてはならない」という共通の価値観が存在していたのです。

相手が弱っているときに襲ったり、
相手が無防備なときに襲う。
それらは、武勇ではなく卑怯と考えられてきたのです。
だから、人は安心して個室の扉を閉めることができたのです。

ここで考えていただきたいのです。

安心とは何でしょうか。
警察官が多いことでしょうか。
監視カメラが多いことでしょうか。
頑丈な扉や、高い塀があることでしょうか。

けれど、本当の安心は、それだけでは生まれません。
社会が疑心暗鬼に満ちていたら、どれほど頑丈な扉を作っても、人は安心できないからです。

反対に、人々の間に信頼があれば、薄い板一枚の扉でも安心できる。

日本人が長い年月をかけて育んできたものは、実はそのような信頼だったのではないでしょうか。

ここに日本人の知恵を見るのです。
法律で縛る前に、人として恥ずかしいことをしない。
監視する前に、自らを律する。
力で抑え込む前に、相手を思いやる。
そうした価値観が積み重なった結果として、日本の個室トイレは成立したのです。

このことは、単なるトイレの話ではありません。
私たちがどのような社会をつくるのか。
どのような未来を子や孫に残すのか。
そうした社会設計そのものの話です。

いま風に言えば、それこそが「出口設計」です。

6 日本人が守ろうとしたもの

それでは、日本人は何を守ろうとしてきたのでしょうか。

私は、それは単なる治安ではなかったと思います。
もちろん安全は大切ですが、日本人が本当に守ろうとしてきたものは、
人と人との信頼であり、
人としての尊厳であり、
そして、命そのものだったのではないかと思うのです。

古代から日本では、人を殺すことは「穢れ」とされました。
戦があっても、できる限り無用な殺生を避けようとする考え方がありました。
敵味方を問わず、戦で亡くなった人々を弔う文化がありました。
また、相手を打ち負かしたとしても、その一族郎党を皆殺しにすることを当然とは考えませんでした。

もちろん例外はあります。
歴史は常に理想通りに動くわけではないからです。

けれど社会全体として見れば、日本人は「勝つこと」よりも、「道を外さないこと」を重んじてきた民族であったように思います。
だからこそ、相手が無防備なときに襲うことを恥としたのです。
だからこそ、用便中の相手を討ち取ったというような話が武勇伝にならなかったのです。

勝てばよい。
目的を達成すればよい。
そのためには手段を選ばない。
そうした考え方とは、日本人は少し違う場所に立っていました。

目的も大事です。
けれど、その目的に向かう過程もまた大事と考えてきたのです。
そこには法律よりも先に、人として守るべき一線がありました。
私は、この感覚こそが、日本社会の大きな財産だったのだと思います。
そして、このことは現代を生きる私たちにとっても大切な問いを投げかけています。

私たちは何を守ろうとしているのでしょうか。
便利さでしょうか、効率でしょうか、利益でしょうか。
それらを追い求めた先に、私たちは、人々が安心して暮らせる社会があるのでしょうか。

日本人が長い年月をかけて守ろうとしてきたもの。
それは、人と人との信頼であり、命への敬意であり、共に生きるための節度だったのではないでしょうか。
そして、それらはすべて「最後にどうなるのか」を考える姿勢から生まれたものだったように思うのです。

7 出口設計という視点

ここで、あらためて出口設計という視点について考えてみたいと思います。

多くの思想や制度は、「何をするべきか」を語ります。
けれど出口設計が問うのは、「その結果を、どうするのか」にあります。

たとえば法律を作ることはできます。
監視カメラを増やすこともできます。
罰則を強化することもできます。

けれど、その結果が、
人々が安心して暮らせるようになるのか、
人と人との信頼が深まるのか、
子や孫に残したい社会になるのか、という問いです。

出口設計とは、入口ではなく出口から考えることです。
何をするかではなく、最後にどうなりたいのか。
どのような人間関係を築きたいのか。
その視点から現在を見直すことです。

日本の個室トイレも同じです。
個室トイレは、誰かが「個室トイレを作ろうという思想を語った」から広まったのではありません。
安心して暮らせる社会を築こう。
人を大切にしよう。
卑怯なことを恥としよう。
そうした人々の生き方や価値観の積み重ねが、結果として個室トイレという文化を生み出したのです。
つまり個室トイレは、日本人が長い年月をかけて築き上げた出口の姿だったともいえるのです。

私は、これからの時代に必要な視点がここにあると思っています。

誰が正しいのか。
どの思想が優れているのか。
そうした議論も大切ですが、それ以上に大切なのは、

「最後、どうなるのか」

という問いではないかと思うのです。

8 個室トイレが教えてくれること

日本の個室トイレは、私たちに何を教えてくれているのでしょうか。

それは、安心が設備ではなく、人と人との信頼によって生まれるものだということです。
もちろん設備も大切です。
清潔なトイレも必要です。
鍵も必要です。
けれど、それだけでは足りません。

本当に大切なことは、その扉の向こう側にいる人を信じることができる社会がどうかです。

トイレの扉を閉めるたびに、日本社会の信頼について考える人はいないでしょう。
けれど、その「当たり前」こそが大切なことだと思うのです。

人は、空気があることを忘れるように、あるいは水が蛇口から出ることを当たり前と思うように、
本当に大切なものほど意識しなくなるからです。
そしてその当たり前は、何千年にもわたって受け継がれてきた価値観や節度、人と人との信頼によって支えられているのです。

社会は、壊れるときは一瞬です。
いまどきは、ミサイル一発、かもしれません。
けれど、信頼を築くには長い時間がかかるのです。

現代人の私たちが、「自分さえ良ければいい」という生き方を選ぶなら、
日本における信頼関係も、この先、少しずつ失われていくことでしょう。

反対に、人を大切にし、約束を守り、相手の立場を考え、卑怯な振る舞いをしない。
そうした小さな積み重ねがあれば、次の世代へと信頼が受け継がれていきます。

個室トイレは、単なる建築物ではありません。
それは、日本人が長い年月をかけて築いてきた信頼の象徴といえるのです。
私たちは、その信頼の上に暮らしています。

私たちが、次の世代に何を残すのか。
安心して暮らせる社会なのか。
人と人とが信頼し合える社会なのか。
それとも疑心暗鬼の社会なのか。

個室トイレは、そんな問いを、毎日静かに私たちに投げかけているように思うのです。

9 思想の時代は終わった

本日発売となった私の新刊のタイトルは、『思想の時代は終わった』です。

このタイトルをご覧になって、
「思想なんて不要だと言いたいのか」と思われる方もおいでになるかもしれません。

けれど、そうではありません。
思想も理念も、これからも大切です。
問題は、それらを語ることが目的になってしまうことです。

私たちは、ともすると、
誰が正しいのか。
どの思想が優れているのか。
誰の理論が正しいのか。
そうした議論に多くの時間を費やします。

けれど、その結果として、
どのような社会が生まれるのか。
どのような人間関係が築かれるのか。
どのような未来が残されるのか。
そこまで考えることは、意外に少ない。

このことを、日本の個室トイレは、私たちに教えてくれています。

なぜなら、誰かが思想として個室トイレを語ったからではないからです。
人々の生き方や価値観が積み重なった結果として、日本では、個室トイレという文化が生まれたのです。

大切なことは、入口ではなく出口です。
何を主張するかではなく、その結果として何が生まれるのか。
その視点を取り戻すことこそが、これからの時代に必要なのではないかと思うのです。

このことを一冊にまとめたのが、本日発売の『思想の時代は終わった』です。

思想を競う時代から、人を結ぶ時代へ。
最後にみんなが笑える社会をつくる。
そのために、私たちは何を選び、何を残していくのか。

本書が、その問いを考えるきっかけになれば幸いです。

小名木善行 拝

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