目の前の出来事そのものは変えられなくても、それに向き合う「姿勢」は選ぶことができます。雨は雨のまま、壁は壁のまま。それでも姿勢を変え、ほんの少し観測点を動かしてみると、「行き止まり」にしか見えなかった場所に、思いがけない道が見えてくることがあります。今回は、姿勢と余白、そしてRelationから、「見える未来が変わる」ということを考えてみます。
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姿勢が変わると、同じ出来事の中にも、それまで見えなかった可能性が見えてくる。
同じ雨でも、「せっかくのお出かけなのに、最悪だ」と思う人もいれば、
「今日は家で、ゆっくり本を読もう。ラッキー」と思う人もいます。
雨は同じです。
違っているのは、雨ではありません。
雨に向き合う人の姿勢です。
不思議なことに、姿勢が変わると、それまで見えていなかったものまで見えてくることがあります。
何か困ったことが起きたとき、私たちはつい、「困ったことが起きた」と考えます。
けれど、本当にそれは、困ったことなのでしょうか。
たとえば仕事で失敗したとします。
その瞬間には、
「しまった!」
「恥ずかしい」
「怒られる」
と思うかもしれません。
ところが数年後、
「あの失敗があったから、仕事のやり方を根本から見直した」
ということがあります。
失敗そのものが変わったわけではありません。
変わったのは、その出来事を見る自分の姿勢です。
「失敗」にしか見えていなかった出来事から、
学び、改善、出会い、次へのきっかけといった、別なものを見るようになったのです。
つまり出来事は、最初からひとつの意味だけ、貼り付いているわけではないのです。
目の前に大きな壁があって、「もうダメだ」という姿勢で壁を見れば、そこには「行き止まり」しか見えません。
けれど、
「では、どうすれば向こう側へ行けるだろう?」と姿勢を変えてみる。
横から回れないか。
登れないか。
誰かに助けてもらえないか。
そもそも、本当に向こう側へ行く必要があるのだろうか。
そんな問いが生まれます。
壁は、まだそこにあります。
けれど、その時点で「行き止まり」だった壁が、
**「問い」**に変わっています。
問いに変われば、可能性が生まれます。
ここで大切になることは、
よくいわれる「何があってもポジティブに考えよう」ではありません。
悲しいときには、悲しむのです。
苦しいときには、苦しむのです。
腹が立つときは、腹を立てるのです。
無理に、これは素晴らしい出来事だと思い込む必要はありません。
むしろ感情は、自分の中にある大切なセンサーです。
ですから、感情は否定しない。
ただ、センサーが鳴ったら、心にほんのすこしの余白を置く。
そして、
「別のところから見たら、どう見えるだろう?」
と観測点を動かしてみるのです。
それだけで、センサーでは捉えきれなかったものが見えてくることがあります。
よく、「状況が変われば、人生も変わる」と云う言葉を聞きます。
けれど、それだけではありません。
姿勢が変わることで、それまで見えていなかったところにある可能性に気づくこともあるのです。
たとえば誰かのひと言を、「批判された」と受け取ることもできます。
けれど、「自分には見えていなかった観測点を教えてもらった」
と受け取ることもできるのです。
ただし、ここで一点、大切なことがあります。
相手の観測点を理解することと、
相手の言動をすべて受け入れることは、違う、ということです。
人には、それぞれ異なる考えがあります。
だから、違う意見に耳を傾けることには意味があります。
けれど、その違いが、他者への攻撃や、場の約束を繰り返し越える行為になったときまで、
「いろいろな考えがありますから」と受け入れ続ける必要はありません。
むしろ姿勢を変えて見ることで、
「この人を説得しなければならない」
という一つの選択肢しか見えていなかったところに、
「距離を置く」
「関係のあり方を変える」
「この場を守るために、ここで線を引く」
という別の選択肢が見えてくることもあります。
それもまた、Relationを考えるということです。
Relationとは、何があっても関係を維持することではありません。
みんながより良い未来へ進むために、関係のあり方そのものを選び直すことでもあります。
予定が狂ったことを、「今日は何もできなかった」と見ることもできます。
けれど、「予定になかった時間が生まれた」と見ることもできます。
同じ出来事でも、姿勢が変われば、そこから先の選択が変わります。
選択が変われば、Relationが変わります。
Relationが変われば、その先に生まれる未来も変わっていきます。
人には、自分では選べない出来事があります。
雨を止めることはできません。
過去を書き換えることもできません。
相手の心を、自分の思い通りにすることもできません。
けれど、その出来事に、どのような姿勢で向き合うか。
そこには、自分で選べる余地があります。
そして、その小さな選択によって、
昨日まで壁にしか見えなかったものの横に、
小さな道を見つけていくことができるのだと思います。
だから、「どうしてこんなことが起きたんだ」で終わらずに、
「この中に、まだ自分の見えていない可能性はないだろうか」と問いを置いてみる。
世界そのものは、まだ何も変わっていないかもしれません。
けれど、その瞬間から、見える未来が、少しずつ変わり始めます。
そう思い、そう信じていても、やっぱり苦しいときは苦しいです。
そんなときには、偉人に触れます。
たとえば、シャープの創業社長の早川徳次さんとか。
🔗 シャープの創業者・早川徳次物語
そして、こんな言葉を思い浮かべるのです。
「疾風に勁草を知る(しっぷうにけいそうをしる)」
『後漢書』王覇伝に由来する言葉です。
激しい風が吹いて初めて、それに耐える丈夫な草(勁草)が見分けられるように、
苦難にあって初めて人の真価が明らかになる。
キツイですけどね。
でもオイラ、あきらめないんだ(^^)b
——今日も良い一日を♪
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