失敗したとき、私たちは「元に戻したい」と思います。けれど、時間は戻りません。ならば大切なのは、起きたことを消すことではなく、そこから何を未来へ持っていくかなのかもしれません。江戸の人々は、大火のたびに町をただ復旧するのではなく、次の災害に備える知恵を町づくりに重ねていきました。人の人生も同じです。過去そのものは変えられなくても、過去と未来とのRelationは変えることができます。今日は、失敗や困難を「未来の材料」に変える出口設計について考えます。

今日のひとこと・良い出口は、「元に戻す」だけではなく、起きたことを未来の知恵へ変えるところにある。

_

良い出口は、「元に戻す」だけではなく、起きたことを未来の知恵へ変えるところにある。

何か問題が起きると、私たちはいきおい「早く元に戻したいな」と思います。
壊れたものがあれば直したいですし、
こじれた人間関係は、もとのように仲良くなりたい。
会社で問題が起きれば、正常な状態に戻したい。
災害が起きれば、一日も早く以前の暮らしを取り戻したい。

それらはとても大切なことですが、
出口設計(Exit Design)という観点から考えると、もうひとつ先があります。

それは、
「元に戻ったら終わり」で、本当にいいのだろうか。
という問いです。

たとえば、子供がコップを割ってしまったとします。
「あーっ! 何やってるの!」
と叱って、破片を片づけ、新しいコップを買ってくる。
これで、とりあえず元には戻ります。

けれどそこで、「どうして割れちゃったんだろうね?」と、子どもと一緒に考えてみる。
テーブルの端に置いてあったのかもしれない。
走り回っていてぶつかったのかもしれない。
濡れた手で持ったから滑ったのかもしれない。

では、次からどうしよう。
「端っこには置かないようにしよう」
「コップを持っているときは走らないようにしよう」
「濡れた手は拭いてから持とう」

そう考えることができたなら、割れたコップは戻ってこなくても、そこにひとつの知恵が残ります。
すると出来事の意味が変わります。

「コップを割ったから、新しいコップを買ってきた」で終わるのではなく、
**「コップを割ったことで、ひとつ賢くなることができた」**になります。

このことは、もっと大きな出来事でも同じです。

災害が起きたとき、まず必要なのは復旧です。
道路を直し、電気を戻し、水道を使えるようにし、家や町を再建する。

けれど、目指すものは、本当に「災害の前とまったく同じ状態に戻すこと」だけで良いのでしょうか。
それだけでは、次に同じ災害が起きたとき、同じ被害を繰り返すことにもなりかねません

だから私たちは、災害から、避難経路を見直し、堤防を強くし、建物の構造を変え、情報伝達の仕組みを改善し、地域で助け合える関係をつくるなどをします。

つまり、
起きた出来事を、次の時代の知恵へ変えていくのです。
そこまで行って、はじめて「復興」と呼べるものになります。

火事と喧嘩は江戸の華と言われ、江戸の町は度々大火によって消失しました。
幕府は、都度、復旧したのではありません。
住宅の密集地に、延焼防止のための広い道路を通し、すべての建物の向きを軒が道路側に向くようにし、
火災が起きたときには「花釘」と呼ばれる木製の支えを木槌で叩き落とせば、一瞬で建物を倒壊させることができるようにしました。
また、いまも町名として残る木場は、大火の際の復興のための木材を常時保管する場所でした。
さらに建物建築に釘を用いず、災害復興時に女子どもでも釘を踏むことなく、被災地の片付けができるようにしました。
江戸の大火の都度、幕府は様々な知恵を使って、災害に強い街作りを実施して行ったのです。

近年の都市部の建築物は、鉄筋コンクリートでできたビルになっています。
しかし、日本は震災の多い国です。
江戸時代のような木造なら、復興も容易で、燃えた柱も表面を削れば再利用可能です。
けれど、大規模災害時のコンクリートの瓦礫は、片付けようがありません。

また、大型スーパーなどは、重量鉄骨製の建物が広く普及しています。
重量鉄骨の建物は、地震に強くコストも安い。
けれど大型火災が起きると、鉄骨が歪み、大きな被害を発生させることもあります。
果たして、戦後日本の街作りは、災害列島日本の街作りとして適切なものであったのか。
我々は、どのような街づくりをしたいのかは、あらためて出口設計の視点から考え直していかなければならないものかもしれません。

こうした出口の考え方は、人も同じです。
「あの失敗さえなければ」
「あの出来事の前に戻れたら」
「あの人との関係が昔のようになれば」
そう思うことは、よくあります。

時間は戻りません。
過去そのものを書き換えることもできません。

ならば、過去を消すのではなく、
その出来事から何を持って未来へ行くのか
を考えることのほうが、はるかに重要です。

失敗したからこそ、次には同じ失敗をしない方法を学ぶのです。
誰かとぶつかったからこそ、自分とは違う見方があることを知ることができたのです。
傷ついたからこそ、人の痛みに気づけるようになったのです。
遠回りをしたからこそ、近道だけを歩いていたら見えなかった景色を見ることができたのです。

そう考えると、過去は変えられなくても、
過去と未来とのRelationは変えることができる
といえます。

問題が起きると、私たちは原因を探します。
「誰が悪かったのか」
「何が間違っていたのか」

原因を調べることは大切です。
責任を曖昧にすればよいということでもありません。

ただ、原因究明だけでは、未来はまだつくられていません。

大切なのは、その先です。
「この経験を使って、次はどうする?」
ここで、観測点が、過去から未来へと動くのです。

過去を裁くためだけに出来事を見るのではなく、未来をより良くするために出来事を見る。
すると失敗も、対立も、困難も、単なる「マイナス」ではない。
未来をつくるための材料なのです。

木に傷がつけば、その傷は完全には消えません。
木は、その傷を抱えたまま成長します。
人も、社会も、同じです。
何も起きなかった状態に戻ることだけを目指すのではなく、

起きたことを抱えながら、
そこから学び、
以前より少しだけ賢くなって、
次の未来へ歩いていく。

だから、良い出口とは、
「問題がなくなった状態」だけではありません。

出来事を通して、
「次は、こうしよう」という知恵が残ること。
そして、その知恵が自分だけでなく、次の人へ、次の世代へと結ばれていくこと。
そこまで含めて、出口なのだと思います。

人には、誰しも元に戻せない過去があります。
けれど、
戻れないからこそ、前へ進むことができるのです。

起きたことを「失敗だった」で閉じるのか。
それとも、「ここから何を未来へ持っていこう?」と問い直すのか。

出口設計は、過去をなかったことにする技術ではありません。
過去に起きたことを、未来をより良くする知恵へ変えていく営みです。

そう考えると、昨日までの失敗も、今日から始まる未来の材料になるのかもしれません。
過去そのものは変えられなくても、過去と未来とのRelationは変えることができるのですから。

——今日も良い一日を♪

_

📘倭塾LINE
倭塾LINEには、本編だけでなく、ちょっと笑える「番外編」もあります。

_

■新刊 大好評発売中
これが私の集大成本です。
『思想の時代は終わった』
https://amzn.to/3P5D0lS

_

Screenshot

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。