二項対立論と日本的思考
二項対立状態になったら心がけること。それは、意見が対立したら、本当に正しい答えは、その真中にある、ということではないかと思います。そこに答えがあるし、そうやってより正しい答えを求めていくところに、創意が生まれ、工夫が生まれる。そういうことを大切にしたきたのが、日本的思考と行動です。
竺紫の日向の橘小門の阿波岐原
西洋の文化は、何でも手に入ようとする文化です。富、権力、贅沢な食事、旨い酒、女性など、あらゆるものを手に入れ独占しようとします。最近流行の勝ち組、負け組といった言葉も、そうした文化に由来します。
日本の文化は、その真逆です。イザナギの大神がそうされたように、私たちもまた、自分の持つ様々なモノや欲望や執着の一切を手放します。
これは実に理にかなっていることだと思います。なぜなら、世の中は平均の法則が必ず働くからです。作用があれば、かならず反作用があるのです。ということは、すべてを手放すことで、私たちはいちばん大切な、そして貴重なものを手に入れることができる。それがひとりではなかなか難しいことだから、神々のお力をお借りして、手放していく。
それが祓いであり、祓詞なのであろうと思います。
徳による統治、罰による統治
人間の世に完璧なものなどありません。どんな施策であっても、かならず良い面、悪い面が生じます。けれど、良くないところがひとつでもあるからと、全否定するのではなく、「より良い」状態を常に切り開いていく努力こそが大事です。
航空戦艦伊勢と日向の物語
先の大戦も、こんにちの戦いも、明治以降の日本の歪みを正そうとする神々の試練ではないか、という人がいます。「伊勢」と「日向」の名を与えられた船が、使いものにならないとされながら、結局この二艦が、あまりにも目覚ましい活躍をしたこと。それは戦後生まれの私たちが、ダメだ、古臭いぞと思っていることが、本当はいちばん大切なことだったこと。そういうことを神々はいま、私たちに教えてくださっているのかもしれません。
清陽(すみあきらか)
災害の多発する日本列島の中で、生き抜く智慧が日本建国の原点にあります。そうすることで、我々の祖先たちは、我が国を「清陽(すみあきあらか)な、うまし国」にしてきたのです。
だから、「日本を取り戻す」というのは、怒ってばかりいる日本にすることではないのです。明るく、前向きな気持で、ほがらかな国にしていくことが大切なのです。
硫黄島総指揮官栗林忠道中将の決別電報
国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
仇討たで野邊には朽ちじ吾は又 七度生れて矛を執らむぞ
醜草の島に蔓(たづ)るその時の 皇国の行手一途に思ふ