国の平穏を願った有馬皇子(ありまのみこ)のお話
万葉集に有馬皇子(ありまのみこ)の御歌があります。
磐代(いはしろ)の
浜松が枝(ゑ)を引き結(むす)び
ま幸(さき)くあらばまた帰り見む
この歌について、拙著『ねずさんの奇跡の国日本がわかる万葉集』から拙文をご紹介したいと思います。
イザナギの桃の実の物語から学ぶこと
誰だって人に生まれた以上、自分を主役に生きています。にも関わらず、それまでまったく人として扱われなかった。
ただのモブキャラ、ただの背景キャラ、ただの兵卒としてしか扱われませんでした。そんな彼らをイザナミは人して扱い、やさしさと愛情と思いやりをもって彼らと接しました。ここに古代から続く日本文化の根幹があります。
悪とは人の名誉を奪うことで、その人の善行を否定すること
キリスト教では、「悪とは善を否定する運動」のことを言うとされているのだそうです。そしてニーチェは、「悪とは人の名誉を奪うことだ」と述べています。そうであれば、「悪とは、人の名誉を奪うことで、その人の善行を否定すること」ということになるのではないでしょうか。
江戸時代の凶状旅と「みがく」文化
懲役を、役人の手をわずらわせるのではなく、むしろ自分から懲役を(自分の意志で)実行する。そうすることで犯罪を犯した過去の自分よりも、さらに一層進歩した磨かれた自分に成長して、国に帰るのです。そういうことが、人生修行としての、「みがき」だと考えられ、常識化していたのが、江戸時代の文化です。これは相当に高い民度がなければ実現不可能なことです。これを実現してきたのが、かつての日本です。いまの日本で、果たしてこれが可能でしょうか。
六十年の時を経て届いた手紙
笑顔は見えなくなり、帽子もだんだん小さくなり、最後、鉛筆の芯ほどの黒い点になって消えて行きました。私は夢中で小旗を振りながら、熱い涙をこらえることができませんでした。
インパールの戦いと日本の若者
世界では、銃を持った敗残兵が、民家を襲ってそのようなことをするのは、いわば「常識」です。自分が生き残るためなのです。しないほうが、おかしいといって良いくらいです。けれど、約6万人が通り、うち4万名が命を落とした街道筋で、日本の兵隊さんに襲われた民家というものが、ただの1件もありません。それどころか、あまりに襲うことがない日本の兵隊さんたちに、地元の農民たちは、食料を与えようとさえしてくれていました。
むすび大学【初】リアル講座のお知らせ
これまで東京で倭塾を開催してきましたが、この度、関西で【初】となる、また、むすび大学でも【初】となるリアル・セミナーを開催します。このセミナーがある程度うまく開催できたら、以後も継続していきます。(それだけに第一回は貴重です。)開催日は2月23日(金)14:00からで、受付開始は13時半からです。
ネガティブ意識と集合的無意識
集合的無意識が求めているのは、新しい社会の「仕組み」であり、そのための「哲学」であり「思想」であり、それらを広げる社会のリーダーです。だから集合的無意識は、リーダーと思しき人物を徹底攻撃し、ふるいにかけています。この流れは、神仕組みそのものです。そして、ふるいを跳ね除けて笑顔で堂々と生き残った人物が、新たな時代のリーダーとなるのです。