同じ香具山を見ても、歴史好き、地質学者、写真家では、そこに見えるものが違います。では、千年以上前の持統天皇には、天の香具山がどのように見えていたのでしょうか。百人一首の「春過ぎて夏来にけらし」を、単なる季節の歌としてではなく、「誰が、どこから、その景色を見ていたのか」という観測点から読み直します。歌を読むとは、千年前の誰かの目を借りて、もう一度世界を見ることなのかもしれません。

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観測点が変われば世界が変わる ―― 持統天皇「春過ぎて」に学ぶ、歌を読むということ

今回は、百人一首の第二番歌、持統天皇の御製から、このことを考えてみたいと思います。
 春過ぎて
 夏来(き)にけらし
 白妙(しろたへ)の
 衣ほすてふ
 天の香具山

百人一首でも、とても有名な一首です。

現代語にすれば、
「春が過ぎて、どうやら夏がやってきたらしい。真っ白な衣を干そう。天の香具山に」
といった意味になります。

けれど、おもしろいのはここからです。

まず、「夏が来た」と聞くと、私たちは何を思い浮かべるでしょうか。
気温でしょうか。蝉の声でしょうか。入道雲でしょうか。冷たい麦茶でしょうか。
同じ「夏」でも、人によって思い浮かべるものは違います。

これについて持統天皇は、
「白妙の衣(しろたへのころも)」と歌われました。
そこに何を見たのでしょうか。

これが、歌を読むときのおもしろさです。

私たちはつい、歌の中に書かれている「もの」だけを見ようとします。
春、夏、白い衣、香具山。
それらはいずれも、歌の中にあるEntity(もの)です。

けれど歌は、それだけではありません。
大切なことは、「誰が、そこから、その景色を見ていたのか」という観測点です。

たとえば、現代の私たちが香具山を見れば、
「ああ、歴史のある山だなあ」と思うかもしれません。
地質学者が見れば、山を形づくる岩石や地形が見えるでしょう。
写真家なら、光と影を見るかもしれません。
登山好きなら、「登ってみたい」となるかもしれない(笑)。

同じ山です。
山そのものは変わりません。
けれど、観測点が変われば、そこから立ち上がってくる世界が変わります。

では、持統天皇の観測点から香具山を見たら、何が見えるのでしょうか。
ここから先は、以前、拙著に書いたひとつの、私の読みです。

持統天皇は、天智天皇の娘(皇女)であり、天智天皇の実弟の天武天皇の皇后であられた方です。
そして父の天智天皇、夫の天武天皇が亡くなられたのち、自ら天皇として国を担っていかれます。
その女性が、夏の青い空の下で、真っ白な衣の向こうに香具山を見ています。
そこには、単なる「山」以上のものが見えていたのではないでしょうか。

私には、香具山の姿に、亡き夫・天武天皇の姿を重ねていたのではないかと思えてなりません。
「あなた。私、いまもこうして頑張っていますよ」
そんな心まで、この歌から聞こえてくるような気がするのです。

もちろん、歌そのものに「香具山は天武天皇です」と書いてあるわけではありません。
ですから、これが唯一の正解だと言うつもりもありません。

むしろ大切なことは、ひとつの正解に閉じ込めないことではないかと思うのです。

古典を読むというと、「昔の言葉の意味を覚えること」だと思われがちです。
もちろん、それも必要なことでしょう。
けれど、それだけなら辞書でもできます。
最近なら、古文をAIに入れれば、あっという間に現代語に訳してくれます。

しかし、古典のおもしろさは、いまの自分とは違う観測点に、自分を置くことではないかと思うのです。

持統天皇が見た夏。
持統天皇が見た白い衣。
持統天皇が見た香具山。
その場所に、自分も、観測点を移してみる。

すると、さっきまでただの「山」だったものが、まったく違う意味を帯びて見えてくることがあります。
これこそが「歌を読む」ということではないかと思うのです。

百人一首には、千年前の人々が見た空や月や、山、恋、別れなどがあります。
そして、同じ空や月や山を見ながら、私たちとは違うものを見ていた人々がいます。
だから私は、百人一首を「昔の人が残した答え」として読むよりも、
「昔の人の観測点を借りる装置」
として読んでみるのです。

自分の観測点だけから世界を見ていると、
「世界とはこういうものだ」と思ってしまいます。

けれど、千年前の誰かの目を借りてみると、
「ああ、同じ景色に、こんな世界もあったのか」と気づくことがあります。
そしてその瞬間、千年前の歌人の心と、千年後の自分の心がひとつになる。

変わったのは景色ではありません。
自分の観測点です。
観測点がひとつ増えるたびに、世界は少しだけ立体的になっていくのです。

わずか三十一文字(みそひともじ)に詠まれた持統天皇の御製。
その和歌の向こう側には、千年前の夏の空があり、人の営みがあり、そして一人の天皇となられた女性が見つめていた世界があります。

歌を読むとは、その人と同じ答えを持つことではありません。
その人の立っていた場所へ行って、その人の目から、もう一度世界を眺めてみることです。
すると、いつも見ている景色の中に、それまで見えていなかったものが見えてくる。

だから今日のひとこと。
同じ景色を見ても、見えるものは人によって違う。
歌を読むとは、千年前の誰かの観測点から、もう一度その景色を見ること。

と書かせていただきました。

百人一首は、千年前の歌です。
けれど、そこから世界を見る私たちの目は、
いま、この瞬間にも、新しくなることができるのです。

——今日も良い一日を♪

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