再生と希望
舒明天皇から天智天皇、天武天皇、持統天皇までの流れの概括
私達が取り戻すべき日本というのは、民度の高い国家です。いまのメディアのように、庶民を見下し、デタラメを刷り込もうとするような存在は、我が国には馴染まない。
片平観平と日本的思考
天が大任を与えようとするときには、強烈な試練を与えます。試練に負けず、めげず、怖(お)じず、そして逃げずに、たゆまず雄々しく前に進もうとするとき、はじめて天はその人に任を与える。逆に言えば、いまとってもつらいことであっても、途中でめげたら次はない、ということです。名もない民草(たみくさ)であったとしても、どこまでも、いつまでも正しい心で前に向かって歩み続ける。それが日本人の日本人的生き方であるということを、片平観平から学びます。
一隅を照らす、照らし続ける
最近Netflixで「消せない週末」という映画が公開されました。何かが狂い、世界中がその狂いに呑まれていく・・・そのような映画です。俳優さんたちの熱演があって、とても良い映画に仕上がっていました。ただ、「わけのわからないこと」に遭遇したときに、その映画の中では、ひとりひとりがそれぞれに「身勝手な自己主張」ばかりを展開することで、事態がどんどん悪い方向に向かっていました。「なるほど、アメリカ映画らしい描写だな」と思いました。
日本人は「わけのわからない」事態に遭遇したとき、「ゴジラ-1.0」と同じです。笑顔で、集団で、力を合わせて、そしてひとりひとりがそれぞれにできる力を発揮して、大きな問題に立ち向かおうとします。誰が偉いとか、中心が誰かではないのです。みんなの思いが、ゴジラとの対決へと向かい、見事ゴジラを退治します。
これが日本式です。
信長の軍団が強かった理由
信長の軍団に入っても、武者たちは土地を与えられるわけでもなく、ただ「兵」として戦わされるだけです。特別な贅沢ができるわけでもない。特別たくさんの賃金がもらえるわけでもない。もちろん働き口を求めてという人も中にはいたでしょうけれど、当時にあって土地をもらえない(耕作地を与えられない)にも関わらず、そこに多くの人材が集まり、大軍団が構築されたのです。そこには
「個人の損得を超えた何か」
がなければ、そのようなことは絶対に起こり得ないのです。
巴御前(ともえごぜん)
巴御前は、ただ一騎、敵に向かって馬を走らせました。やってきた敵は、武蔵国で評判の力自慢の大男、御田(みた)の八郎師重と、これに従う三十騎でした。なかでも八郎師重というのは、いまで言うなら、まるでプロレスラーのような巨漢です。しかも鎧を着て、槍を手にしていました。ドドドと音を立てて駆けてくる、その八郎師重に向かって、巴御前は正面からまっすぐに馬を走らせました。正面衝突しそうになったその時、、巴御前は八郎師重の槍を跳ね除け、そのまま馬上から、馬上の八郎師重に飛びかかりました。