再生と希望

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舒明天皇から天智天皇、天武天皇、持統天皇までの流れの概括

私達が取り戻すべき日本というのは、民度の高い国家です。いまのメディアのように、庶民を見下し、デタラメを刷り込もうとするような存在は、我が国には馴染まない。

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文化薫る国、日本

過去の文化を失わせてはいけない。ならばそうならないように史書を遺し、文化を伝承する。そのために書かれたのが日本書紀であり、万葉集です。このことを理解すると、破壊ではなく、常に創造を重んじた日本の文化の根幹が見えてきます。

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一隅を照らす

人々の光が集まると、それは強い光となります。そして光の前には、そのような悪は霧散するのです。このことが顕著になるのが2024年から2025年です。今年、世界は、人々の一隅を照らす力によって、激変するのです。

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片平観平と日本的思考

天が大任を与えようとするときには、強烈な試練を与えます。試練に負けず、めげず、怖(お)じず、そして逃げずに、たゆまず雄々しく前に進もうとするとき、はじめて天はその人に任を与える。逆に言えば、いまとってもつらいことであっても、途中でめげたら次はない、ということです。名もない民草(たみくさ)であったとしても、どこまでも、いつまでも正しい心で前に向かって歩み続ける。それが日本人の日本人的生き方であるということを、片平観平から学びます。

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一隅を照らす、照らし続ける

 最近Netflixで「消せない週末」という映画が公開されました。何かが狂い、世界中がその狂いに呑まれていく・・・そのような映画です。俳優さんたちの熱演があって、とても良い映画に仕上がっていました。ただ、「わけのわからないこと」に遭遇したときに、その映画の中では、ひとりひとりがそれぞれに「身勝手な自己主張」ばかりを展開することで、事態がどんどん悪い方向に向かっていました。「なるほど、アメリカ映画らしい描写だな」と思いました。
 日本人は「わけのわからない」事態に遭遇したとき、「ゴジラ-1.0」と同じです。笑顔で、集団で、力を合わせて、そしてひとりひとりがそれぞれにできる力を発揮して、大きな問題に立ち向かおうとします。誰が偉いとか、中心が誰かではないのです。みんなの思いが、ゴジラとの対決へと向かい、見事ゴジラを退治します。
これが日本式です。

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災害対策と三大神勅

あらゆる災害から大御宝の命を護るのが政府の役割のはずなのに、いまの日本政府は利権集団と化しています。災害への姿勢があるといえるのかは甚だ疑問です。我々は日本が三大神勅の国であることを、いまいちど根底から考え直して行かなければならないのではないでしょうか。

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相手は変わらない

よその国の悪口をいくら言ってもはじまらないし、自国の悪口をいくら言っても、日本が良くなることはありません。
我々は日本人です。日本人なら、日本を信じることです。そして信じられる日本に、日本をしていくことができるのは、日本人だけです。そんなあたりまえのことに気付けば、いますべきことが見えてきます。

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信長の軍団が強かった理由

信長の軍団に入っても、武者たちは土地を与えられるわけでもなく、ただ「兵」として戦わされるだけです。特別な贅沢ができるわけでもない。特別たくさんの賃金がもらえるわけでもない。もちろん働き口を求めてという人も中にはいたでしょうけれど、当時にあって土地をもらえない(耕作地を与えられない)にも関わらず、そこに多くの人材が集まり、大軍団が構築されたのです。そこには
「個人の損得を超えた何か」
がなければ、そのようなことは絶対に起こり得ないのです。

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曽我物語

「曽我物語」は、鎌倉時代の実話が基になっています。
そしてこの物語は、その後の時代を通じて人々に愛され続け、江戸浅草の芝居小屋では毎年新春の演目として、3つあった芝居小屋が同時に「曽我物語」を演じました。江戸っ子にとって曽我兄弟の物語は、幼い子供から大人まで、誰もが知る常識物語でもあったのです。

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巴御前(ともえごぜん)

巴御前は、ただ一騎、敵に向かって馬を走らせました。やってきた敵は、武蔵国で評判の力自慢の大男、御田(みた)の八郎師重と、これに従う三十騎でした。なかでも八郎師重というのは、いまで言うなら、まるでプロレスラーのような巨漢です。しかも鎧を着て、槍を手にしていました。ドドドと音を立てて駆けてくる、その八郎師重に向かって、巴御前は正面からまっすぐに馬を走らせました。正面衝突しそうになったその時、、巴御前は八郎師重の槍を跳ね除け、そのまま馬上から、馬上の八郎師重に飛びかかりました。

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