私たちは子供の頃から、「正しい答えを出すこと」を学んできました。けれど、人間や歴史、そして未来には、答えを決めた瞬間に見えなくなってしまうものがあります。「これは何だろう?」「反対側から見たら?」「ここから何ができるだろう?」――問いをひとつ置くだけで観測点が動き、昨日までと同じ世界に新しい可能性が見えてきます。『古事記』や聖書を読むことから、AI時代の人間の役割まで。「問いを持つ」ということについて考えます。

今日のひとこと・答えを持っていると世界は答えに見える。問いを持っていると世界は可能性に見えてくる。

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答えを持っていると世界は答えに見える。問いを持っていると世界は可能性に見えてくる。

学校のテストには答えがあります。
1+1=2ですし、日本の首都は東京です。
私たちは子供の頃から、「答えを出すこと」を教わってきました。

ところがおもしろいことに世の中では、
「答えがわかった瞬間に、見えなくなってしまうもの」もあります。

たとえば、目の前に一人の人がいるとします。
「あの人は頑固な人だ」
そう答えを出した瞬間、その人のすることは、何でも「頑固だから」に見えてきます。

意見を変えなければ、「ほら、やっぱり頑固だ」となるし、
人の忠告を聞かなければ、「だからあの人はダメなんだ」となる(笑)

ところが、そこでひとつ、問いを持ってみます。
「なぜ、この人はそこまで自分の考えを変えないのだろう?」

すると景色が少し変わります。
もしかすると、過去に大切な約束をしたのかもしれない。
誰かを守ろうとしているのかもしれない。
あるいは、自分には見えていない何かを、その人は見ているのかもしれない。
もちろん、本当にただ頑固なだけかもしれません(笑)。

けれど、問いを持った瞬間、少なくとも可能性はひとつではなくなります。
ここが大切なのだと思います。

実はこのことは、歴史を見るときも同じで、
この人は英雄だった、悪人だったとか、
この戦争は、これが原因だった、
この時代は、こういう時代だったなどと答えを決めてしまえば、歴史はとてもわかりやすくなります。

けれど同時に、それ以外のものが見えにくくなるのです。

そこで、**「それって、本当?」**と問いを置いてみます。
すると、同じ史料、同じ出来事を見ていても、そこから別の景色が現れます。

「当時の時代の流れはどういうものだったのだろう?」
「この人の立場から見たら、どう見えただろう?」
「相手側から見たら、どうだったのだろう?」
「その時代を生きた普通の人々には、何が見えていたのだろう?」
「この出来事のあと、人々はどんな未来をつくろうとしたのだろう?」

問いが変わると、観測点が動きます。
観測点が動くと、それまで見えていなかったRelation――人と人、人と社会、過去と未来の「あいだ」にあったものが見えてきます。

歴史がおもしろいのは、昔の出来事について「正解を暗記する」からではありません。
問いによって、過去が立体になっていく。
そこに、歴史を学ぶ醍醐味があるのだと思います。

私たちの日常でも同じです。
何かうまくいかないことが起きたとき、
「もうダメだ」という答えを出せば、そこで景色は閉じます。
けれど、**「では、ここから何ができるだろう?」**という問いに変えた瞬間、出口を探すことができます。

人間関係で衝突したときも、
「あいつが悪い」で終われば、世界はそこで固定されます。
けれど、**「二人の『あいだ』に、何が起きているのだろう?」**と問いを持てば、Relationを見ることができます。

未来が不安になったときも、
「これから悪くなる」と答えを決めてしまうのではなく、
**「では、どんな未来にしたいのだろう?」**と問いを持てば、出口設計が始まります。

つまり、「問い」とは、答えがない状態ではありません。
まだ見えていない可能性に、入口をつくることです。

さらにここからが面白いところです。
私たちは、ともすると「答えを持っている人」を「賢い人」だと思いがちです。
何を聞いてもすぐ答えることができたり、迷わない人であったり、
「これは、こうです!」と断言する人であったり。

さらにそういう人が、権力や財力を持っていたりすると、そういう人を絶対視する人も世の中にはいます。

たしかに、そういう人は頼もしく見えるのですが、
すこし考えたら誰にでもわかることだけれど、人というのは、権力や財力の有無に関わらず、誰でも、悩み、迷い、恐れながら生きているものです。
だから、見た目は自信たっぷりに振る舞い、人生の成功者と言われるような人ほど、神託のようなものに弱かったりします。
それどころか、その世界に没入する人さえもあります。

それがいけないこととは思いません。
しかし、人は、本当に深く考えている人ほど、
「これは、どういうことなのだろう?」という問いを持ち続けているものだと思います。

ひとつの答えにたどり着いても、
「では、これは?」
「反対側から見たら?」
「百年後から見たら?」
と、また問いが生まれる。
だから、その人の世界が広がっていくのです。

本居宣長といえば、江戸中期に『古事記』を全編解読した偉大な人物として名を残した人です。
けれど、彼は、商家の出身の、開業医です。
源氏物語が好きで、近所の人を集めて、源氏物語の講義をしたりしていました。

そんな本居宣長の人生に、大きな転機をもたらしたのが賀茂真淵です。
宝暦13年(1763)5月25日、伊勢参宮の途上で松坂を訪れた賀茂真淵と宣長は対面します。世にいう「松坂の一夜」です。
宣長はすでに『古事記』注釈への志を抱いていましたが、この出会いを経て真淵に入門し、本格的に古典研究の道を深めていきます。

当時、『古事記』はすでに非常に読み解くことの難しい古典となっていました。
宣長は長い歳月をかけてこれに取り組み、『古事記伝』全44巻を完成させています。
その研究は、今日に至る『古事記』研究の巨大な礎となりました。

本居宣長の師となった賀茂真淵もまた、遠州浜松の伊場村、賀茂神社の神官の家に生まれた人です。
記録によれば、普段はボーッとしたオヤジさんで、顔を見れば、奥目の好々爺。
どうみても優秀な切れ者には見えないし、話しかけても、ニコニコするばかりで、まるで豆腐と話しているかのような印象の人であったといいます。
ところが何かのきっかけでスイッチが入ると、突然、饒舌になり、しかも理路整然としていて、聞いている人を飽きさせないという逸話が伝えられています。
そしてその賀茂真淵が、我が国の国学の道を開いた人物のひとりとして、名を残しています。

『古事記』にも、国学にも、問いは尽きません。
ひとつの答えにたどり着けば、そこからまた新しい問いが生まれます。

造化三神は、なぜ生まれたのか。
その理由など、どこにも書かれていません。
だから「どうして?」と考える。
これが万国共通の古典の読み方です。

同じことは聖書にだって言えることです。
これは昨日、東郷潤先生から教えていただいたことですが、
旧約聖書の冒頭といえば「創世記1」です。
神は5日目までに、光や天地、草木、魚や鳥などをつくられ、6日目には地上の生き物をつくられ、そして人を男と女に創造されたとあります。
そして7日目、神は創造の業を休まれたとあります。

ところが続く「創世記2」で、神はあらためて人(男性のアダム)をつくられるのです。
そして豊かなエデンの園に人(アダム)を連れて来られ、続けてあらゆる獣や鳥をつくられます。
そのあと、アダムの肋骨の一本を抜き取って、女性のイブをつくられたとあります。

ここで、おもしろいことに気づきます。
創世記1と創世記2では、創造についての描かれ方が違うのです。
では、なぜ同じ聖書の冒頭に、異なる描き方が並べられているのでしょうか。

もちろん、これについては長い聖書研究の中でさまざまな解釈が積み重ねられてきました。
けれど、少なくとも私たちはここで、
「これは何を意味しているのだろう?」
と問うことができます。

答えを急いでひとつに決めるのではなく、問いを持って読む。
そうすると古典は、二千年、三千年という時間を超えて、いまを生きる私たちに語りかけ始めます。

これから、AIの時代に入ります。
いや、もうすでにその時代に入っています。
AIに尋ねれば、さまざまな答えが返ってきます。
知識を得るだけなら、昔とは比較にならないほど便利になりました。

けれど、**「そもそも何を問うのか」**は、人間の側に残ります。
どんな未来をつくりたいのか。
何を大切にしたいのか。
誰と、どんなRelationを結びたいのか。
最後に、どんな笑顔を残したいのか。

問いが変われば、AIから返ってくる答えも変わります。
そして何より、自分の見ている世界が変わります。

つまり、「答えを持つこと」以上に、
「問いを持ち続けること」が、これからますます大切になっていきます。

答えは、世界を整理してくれます。
問いは、世界をひらいてくれます。

「これは、こういうものだ」と決めた瞬間、世界はその答えの形になります。
けれど、**「これは何だろう?」**と問いを置いた瞬間、
昨日までと同じ景色の中に、
昨日までは見えなかった道が現れるのです。

答えを持っていると、世界は答えに見える。
問いを持っていると、世界は可能性に見えてくる。

世界が狭くなったと感じたときこそ、
答えを増やすのではなく、問いをひとつ置いてみる。

するとそこから、新しい景色が、きっと始まって行きます。

——今日も良い一日を♪

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