山上憶良の『貧窮問答歌』は、古代の民衆が苛酷な税に苦しむ姿を描いた歌――私たちは長く、そう教えられてきました。けれど、作者である憶良は筑前国司、つまり行政の責任者でもありました。では国司の場所に立ったら、この歌はどう見えるのでしょう。海峡の向こうから見たら? 貧しい人の場所から見たら? そして憶良自身の心に立ったら? 今回は、従来説を別の「正解」に置き換えるのではなく、観測点そのものを動かしながら『貧窮問答歌』を読み直します。 古典に残されているのは、答えではなく、1300年を超えて私たちに届く「問い」なのかもしれません。

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山上憶良の『貧窮問答歌』は、『万葉集』の中でも、とりわけ有名な歌のひとつです。
学校で習ったという方も多いことでしょう。
私も子供の頃、この歌を学校で習いました。
そこで教えられたのは、おおむね次のような内容でした。
「律令体制下における民衆の貧困と、苛酷な税の取り立ての実態を、山上憶良が写実的に描いた歌である」
つまり『貧窮問答歌』は、古代日本において、支配する側から搾取され、貧困に苦しんでいた民衆の姿を描いた社会詩である、という読み方です。
ところが私は、大人になって社会経験を積んでから、どうにもこの説明に違和感を持つようになりました。
理由は単純です。
山上憶良は、この歌が詠まれた頃、筑前国の国司でした。
いまでいえば、県知事に近い立場です。
つまり筑前国の行政について責任を負う側の人物です。
その人物が、「私の治めている国では、民衆がこんなにも悲惨な生活をしています」という歌を後世に残すだろうか。
もし本当にそうなら、それは民衆の悲惨さを告発する以前に、自分自身の統治能力の不足を告白しているようなものではないか。
若い頃には考えもしなかった、そんな疑問が浮かんだのです。
そこから私は、この歌について、従来とは違う読み方をするようになりました。
けれど今日は、その私自身の読み方についても、いったん脇に置いてみたいと思います。
なぜなら最近、古典を読むうえで、ひとつ大切なことを考えるようになったからです。
それが、**「観測点を動かしてみる」**ということです。
そしてもうひとつ。
新しい観測点から見えた景色さえ、「これが正解だ」と固定しない。
今回は、そのような読み方から、あらためて山上憶良の『貧窮問答歌』を眺めてみたいと思います。
1 山上憶良は、どんな人だったのか
『貧窮問答歌』を読む前に、少し観測点を動かしてみましょう。
歌そのものから、作者である山上憶良へ移動します。
山上憶良は、こんな歌を残した人です。
秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花
続けて、
萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花
これらは、いわゆる「秋の七草」を詠んだ歌です。
憶良は秋の野に立ち、そこに咲いている小さな花々を、ひとつ、またひとつと指折り数えています。
萩がある。尾花がある。葛がある。撫子がある。女郎花(をみなへし)がある。藤袴がある。朝顔がある。
どの花が一番偉いという話ではありません。
どの花も、それぞれに咲いている。
その一つひとつへ目を向けています。
山上憶良という人は、人間についても、そのような眼差しを持った人だったのではないでしょうか。
彼は子を思う歌も残しています。
老いや病、貧しさ、人間の弱さについても詠んでいます。
立派な人や強い人だけを見るのではなく、社会の片隅にいる人、弱い立場にいる人、泣いている人、小さな命へ、自分の視線を移してきた、そういう歌人です。
そして同時に、筑前国司という、行政の責任を担う人物でもありました。
ここが、『貧窮問答歌』を考えるうえで、とても大切なところだと思うのです。
2『貧窮問答歌』の世界
『貧窮問答歌』には、寒い夜の情景が描かれています。
風まじりの雨が降る。雪が降る。
寒さに耐えるため、塩をなめ、糟湯酒をすすり、咳をし、鼻をすする。
衣を重ねても寒い。
そして、その人物はふと思います。
自分よりもっと貧しい人は、どうしているのだろう。
そこで歌の観測点が動きます。
今度は、さらに貧しい人の暮らしへ移っていくのです。
そこでは、父母が飢えています。
妻子が泣いています。
家は傾き、地面には藁が敷かれ、かまどには火の気がありません。
飯を炊く器には蜘蛛の巣が張っています。
そして、税を督促する里長の声が聞こえてくる。
あまりにも有名な場面です。
ここだけを切り取れば、「なるほど。律令国家の苛酷な徴税によって民衆が苦しめられていたのだ」という読み方が生まれることは理解できます。
それもひとつの観測点です。
しかし、そこで観測点を固定しないで、読んでみます。
3 国司の場所へ立ってみる
山上憶良は筑前の国の国司です。
いまで言ったら、福岡県知事です。
もし歌に描かれているのが、自分の統治下で日常的に発生している惨状だったとすれば、どうでしょう。
国司は単なる傍観者ではありません。
行政の責任者です。
現代に置き換えてみれば、ある県知事が、
「私の県では、人々が食べるものもなく、家は崩れ、行政はそんな人々から税を取り立てています」という作品を書き、「どうです。ひどい社会でしょう」と後世へ残すようなものです。
もちろん、行政責任者自身が社会問題を告発することはあります。
ですから、一方的に「国司なのだから筑前の貧困を書くはずがない」と、これだけで断定することはできません。
ここが大切なところです。
ひと昔の私は、この疑問から、
**「ならば、これは筑前の民衆を描いた歌ではないのではないか」**と考えました。
そして観測点を、筑前から海峡の向こうへ動かしてみたのです。
4 海峡の向こうから見る
山上憶良が筑前国司となったのは、八世紀前半です。
筑前国には大宰府があります。
そして海峡を渡った先には朝鮮半島があります。
さらに時代を少し遡れば、663年には白村江の戦いがありました。
日本は百済救援のために出兵し、唐・新羅連合軍に敗れています。
百済はすでに滅亡し、その後、高句麗も滅び、朝鮮半島は新羅を中心とする秩序へ大きく変化していきました。
山上憶良の時代は、朝鮮半島南部との深い関わりが、まだ遠い過去になっていなかった時代です。
そして筑前は、その朝鮮半島と海を隔てて向き合う場所です。
このことから、私は以前、『貧窮問答歌』が描いているのは、海峡の向こう側にいる人々の生活ではないかと考えました。
歌に登場する、
「つぶれかかった家」
「曲がった家」
「地面に直接敷かれた藁」
といった描写についても、日本の住居文化や自然環境と照らして考えました。
また、世間を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
という反歌の、「飛び立ちかねつ」という言葉にも注目しました。
海の向こうに暮らす人々が、逃れたくても逃れられない。
そういう情景として読むこともできるのではないか。
私は長く、この読み方を支持してきました。
そして、いまでもこれは検討に値するひとつの仮説だと思っています。
けれど――ここで、もう一度観測点を動かしてみたいのです。
5 新しい読み方を「新しい正解」にしない
これは、最近とても大切にしていることなのですが、
・従来の解釈に疑問を持つこと。
・別の観測点へ移動すること。
これをすると、これまで見えなかった景色が見えてきます。
ここまではOKです。
けれど自分も含めて、人はその瞬間に、
**「わかった。こっちが本当の正解だったのだ」**と思ってしまいます。
すると何が起こるのかというと、
観測点が「A」から「B」へ移動しただけで、今度は「B」に自分を固定してしまっている。
それでは、固定する場所が変わっただけです。
ですから、私自身が以前提示した「半島を描いた歌ではないか」という読み方についても、今日は固定しないでおきたいと思います。
半島という観測点から見れば、そう見える。
筑前の社会という観測点から見れば、別の景色が見える。
律令制度から見れば、また違って見える。
そして山上憶良という一人の人間の内側へ観測点を移せば、さらに別のものが見えてきます。
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